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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 「外なる宇宙」と「内…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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1  宇宙空間をとらえた仏法哲理
 ――志村(司会) 最近、宇宙の問題が人々の大きな関心を呼んでいますが、三年前(一九八〇年)でしたか、アメリカの有名な宇宙科学者カール・セーガンが、宇宙をテーマにしたテレビ番組をつくったりして、評判になりましたね。
 池田 その番組のもとになった本(『COSMOS』カール・セーガン著、木村繁訳、朝日新聞社刊)は、朝日新聞社の記者の方からいただいて読みました。
 ―― そこでこれから、長年の間、高等宗教とりわけ「末法の法華経」の実践と研究をしてこられた名誉会長と、京都大学で天体核物理学を専攻された木口勝義さんに「仏法と宇宙」というテーマについて語り合っていただき、この大テーマを少しでも解明できれば、と思います。
 木口 たいへんな課題に挑戦するわけですが、しかし、研究者としても勉強になりますし、少しでも、人間の内なる世界と、大宇宙との関連性を論ずることは、たいへんに有意義と思います。
 池田 深遠にして壮大なる宇宙空間をとらえた、日蓮大聖人の仏法は、私ごときものでは、とうてい思慮の及ぶところではない。さらに時間、空間の大舞台たる広大悠久なる大宇宙については、もちろん天文学者ではないし、素人にすぎませんが……。ただ、心をひきつけられている大問題であるし、少しでも勉強になればと思っております。
 ―― 文学の分野などでも、すでに宇宙への挑戦が、そのまま科学本来のロマンとして展開されています。たとえば、最近の『宇宙からの帰還』(立花隆著、中央公論社刊)といったような実録は、そのまま科学的な読み物の新しい出発になってきていますね。
 木口 そうですね。ともかく、この地球上に生命が誕生したことも、すべて宇宙とのつながりによると考えられますし、いま新たな視点で宇宙の問題が注目されるのは当然でしょう。
 池田 そうです。これまで、いわゆる人間の誕生という問題については、簡単に言えば、ダーウィンの進化論の流れのなかで考えられてきている。地下から噴き上げる噴火作用。それが水蒸気になって雨になる。その雨が川をなし、やがて海をつくる。溶岩や大気中の成分が溶けた海から生命発生への因子である分子ができる。そこに、カミナリが作用して、生命誕生の素材がつくられたという説もあるようですが……。
 木口 進化論は、キリスト教と対決してきた非常にタフな強い学問で、現在では、いちおう定説となっております。しかし、もとのままの進化論は、少し古いようです。
 現在では、宇宙がどのように進化してきたか、また太陽や地球がどのように生まれてきたかが、かなりわかってきております。天文学者と生物学者の間には、まだ意見の相違はありますが、地球に生命が誕生したときの状況は、ほぼわかったといってよいでしょう。したがって現在では、宇宙の進化や地球の誕生をも含めた体系のなかで、人間の誕生が考えられているといえます。
 たとえば、彗星が冷えきった固体の地球に衝突を重ね、それが因になって生命誕生につながったという、生物学出身の天文学者の説もあります。
 また地球自体の固体にあった酸素や窒素が自ら噴き出て、大気を構成し、そのなかから生命が発生してきたという地球物理学者の説もあります。
 池田 そうですね。いまの木口さんのお話に関連しますが、生命の誕生の問題については昨年(一九八二年)、モスクワ大学総長ログノフ博士と対談したさいにも話題になりました。博士も、ダーウィンによる初期の理論には否定的でした。
 博士の見解では、端的に言えば生命というものの誕生は、星間空間での化学進化をそのまま引き継いで原始地球に発生し、そこから進化してきた、という考え方のようでしたね。
 木口 そうですか。実際にアルコールなどが星間空間に見つかっています。さらに言えば、彗星や流星などに、化学進化の原材料が求められる、とする説もあります。
 ―― なかには、彗星の頭部で原始生命が発生したという学者もいますが、これは少数意見です。
 結局、定説はないというところでしょうか。
 木口 そう思います。
 生命という重大問題を探究していくと、つまるところ宇宙の進化、さらには誕生にまでさかのぼっていかざるをえない。そうすると、まことに難解なことになってしまいます。
2  天文学は宇宙の始まりをどうみるか
 池田 一般的には、宇宙の始まりに関する議論は、いわゆる「ビッグバン」(大爆発)によって始まったとされています。
 しかし、この大爆発が、「すべての始まり」であったのか、それとも、それ以前に、大宇宙の収縮期間というものがあったのか、大きい議論の分かれ目になっていますね。
 木口 まったく、そのとおりです。宇宙の始まりについての研究は、まだ研究手段を開発する段階であって、学者としても、はっきりしたことは、何も言えないところです。
 ―― 宇宙をめぐるさまざまな、不可思議な問題は、まだまだあるということでしょうか。
 池田 そうですね。
 この宇宙と生命をめぐる課題は、あまりにも大きく広い。アポロが月の旅行に成功したとはいえ、また、いまの長足に進歩する科学をもってしても、ほんの一粒の解明にたどりついたにすぎないといえる。
 木口 そのとおりですね。
 池田 天文学は、想像以上に早く進歩を遂げる学問だと思いますが、どんな方々が、天文学の将来を担っているのですか。
 木口 天文学は、これからの学問です。天文学は、古代エジプト文明に始まったといわれます。
 長い間、どちらかというと政治と結びつきが強く、天の意志を読みとる技術であったわけです。それを科学の一分野として独立させ、宇宙と人間の関係を解き明かそうと人々が試みだしたのは、ごく最近のことです。
 日本では暦学の影響が強く残っていました。ですから、学問としての天文学は、戦後始まったといっても過言ではないと思います。
 ―― なるほど。
 木口 実際、戦後、湯川秀樹先生と伏見康治先生(大阪大名誉教授)が天文学の重要性を言われ、そこから林忠四郎(京大教授)、早川幸男(名大教授)、小田稔(宇宙科学研究所所長)の諸先生が出ました。
 現在は、その弟子たちが活躍されています。
 池田 木口先生は、ずうっと、その十番ぐらいのところにいる……。(爆笑)
 木口 そうあらねば、と思っています。(笑い)
 世界では、アメリカのチャンドラセカール(ノーベル物理学賞受賞、シカゴ大学教授)、ホイラー(プリンストン大学教授)、デンマークにシュトレイムグレン(コペンハーゲン大学名誉教授)、また観測ではサンディジ(パロマ天文台教授)などがいます。太陽系に関しては、カール・セーガン博士が、この分野の進展に貢献してくれました。
 ―― どんな教科書が、使われていますか。
 木口 天文学では、最新の論文(英文)を読み、古典的な書物、たとえばチャンドラセカールの『星の構造』(長田純一訳、講談社刊)とか、エディントン(イギリスの天文学者)の『相対論の数学的理論』などを読みます。また、サンディジの『銀河のハッブルアトラス』という写真集で、銀河系のことを考えます。
 池田 天文学上の知見に、私は期待したいと思っています。
3  天上に輝く星辰とわが内なる道徳律
 木口 私も学者の一人として、その期待に応えたいと思いますが、ただ天文学は、科学がこれまで蓄積した知識と、科学者の推測を基盤にしています。いくら思索の羽を伸ばしてみても、大宇宙の存在をみるとき、ほんのわずかな推測の域を出ないといえるでしょう。
 池田 そうでしょうね。
 いつの日でしたか、作家の井上靖先生と懇談したときに、あの有名なドイツの哲学者、カントの言葉を先生が言われた。そのことが思い出されますね。
 ―― どのような言葉でしたか。
 池田 たしか「考えれば考えるほど、深くわが心をうつものが二つある。それは、天上に輝く星辰と、わが内なる道徳律である」という意味の言葉だったと思います。この一言が、私の心を常にとらえてきました。
 ―― その段は『四季の雁書』(井上靖/池田大作=往復書簡、潮出版社刊)にも出ていましたね。たいへん評判のいい書簡集でした……。
 木口 有名な言葉ですね。カントが母校の講義で「諸君は私から哲学を学ぼうとせずに、哲学すること、すなわち自ら思索し、自ら探究することを学んで欲しい」と、あくまでも自分自身の思索が、学生たちにより深められていくことを願っていたようですね。
 池田 そうです。それとカントの科学認識は、ニュートンの科学を基盤としていたようですね。
 そのニュートンの科学を超えて出てきたのが、アインシュタインといえます。
 このアインシュタインの現代物理学、さらには天文学の問題は別にしていただき、この「天上に輝く星辰と、わが内なる道徳律」という有名なカントの言葉は、偉大なる精神性が感じられますね。
 ―― 短い言葉でありながら、深い洞察がありますね。
 池田 そうです。人間が理性をもっても、とらえきれないであろう悠久なる大宇宙と、内なる心とを対象としたところに、素晴らしさがある。詩的な心と、宇宙との対比の絶妙さを感じてならない。
 要するに宇宙は、無限にして玄妙なる時空の広がりをもっており、人間生命もまた、「内なる世界と宇宙」への微妙変化の広がりをもっている。
 一方は、外への、はるか果てしなき広がりであり、他方は、内なる底知れぬ深遠さの広がりをもちながら、ときに両者は、相結び合っている。このことは、詳しくは略しますが、仏法でも、「一念三千」という法理として明確に説いているところです。

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