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日蓮大聖人・池田大作

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科学の発達と世界観  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  池田 古来、科学と世界観とは、不可分の関係にありました。古代ギリシャや中国、あるいはイスラム世界を見ても、アリストテレスや朱子の学問に象徴されるように、今日の自然科学に連なる自然学や天体論は、当時の世界観と表裏一体の関係にあったといってよいでしょう。
 ひとり、ヨーロッパに発する近代科学のみが、こうした世界観の呪縛から解放され、客観性、普遍性をもち得たのだと考えられた時期も、一時はあったようです。しかし最近では、こうした客観性、普遍性が、じつは擬似的性格のものであったことが、明らかにされつつあるように思われます。すなわち、客観性、普遍性といっても、機械論的世界観という枠内でそうであるにすぎず、前提とされる機械論的世界観そのものが、人間という鏡に照らした時、いちじるしく閉ざされた性格をもっていることは、疑問の余地はないと思われます。
2  そもそも近代科学といっても、出発点から世界観抜きで始まったと考えることは、大きな誤りという以外にありません。わが国の著名な科学史家は「われわれが近代の延長上に位するにしても、近代科学の父達、つまり科学革命の担い手たちとわれわれとの距離は、もしかするとスコラ哲学者とガリレイやニュートンらの距離よりも大きいかもしれない。その認識なしに、近代を云々することは、どこかで大きな誤りを犯すことになる怖れなしとしない」(村上陽一郎『近代科学と聖俗革命』新曜社)と述べております。
 言うところの趣旨は明らかです。ガリレイやニュートンをはじめ、多くの優れた科学者たちの活躍した十七世紀は、科学史上“偉大な世紀”とか“天才の世紀”とか呼ばれていますが、彼らの業績にしたところで、世界観抜きで行われたわけでは決してありません。それどころか彼らは、自分たちの知的営為を神の意思、神の仕業とどう結びつけるかということに、必死の努力を重ねていたわけです。このことは、たとえばニュートンが聖書の記述と自説との符合に、どれだけ心を労していたかという事実に、よく示されております。
 そうした彼らの世界観は、もとよりスコラ神学の説く世界観とは、大きく異なっていました。スコラのもたらした“聖なる天蓋”はもはや取り払われ、当時の人々は、よるべなき混沌のなかに置かれていました。そこで科学者たちは、神を中心とする新たな世界観、善悪・価値の問題を含む新たな世界観の構築に専心したのでした。
3  こうした世界観への志向は、近代合理主義の祖デカルトにおいて、最も顕著です。「我考える、故に我あり」に始まるデカルトにおいては、たとえパスカルの顰蹙を買ったにせよ、「神あり」ということが、無理なく位置づけられております。またデカルトが諸学を一本の木にたとえ、形而上学を根とし、自然学を幹とする一種の普遍学をめざしていたことは、彼における世界観志向の強さを物語ってあまりあります。つまり、科学といい合理思想といっても、“神”という一点においては、スコラ的世界観とつながっていたわけです。
 前出の科学史家が「近代科学の父達、つまり科学革命の担い手たちとわれわれとの距離は、もしかするとスコラ哲学者とガリレイやニュートンらの距離よりも大きいかもしれない」と言うのもまことに無理からぬ話であります。
 現代科学とは、近代科学の父たちがもっていたこうした世界観への志向が、神の憑きが落ちてくるとともにスッポリと欠落し、物質の世界の論理のみが残っている状態といっても過言ではないでありましょう。機械論的世界観は、あらかじめ世界観として追究されたというよりも、神を中心とする予定調和的世界観から、神が抜け落ちた結果もたらされたものなのです。

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