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日蓮大聖人・池田大作

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科学の発達と人間精神の開発との関連  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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1  池田 科学の発達が歴史上かつてなかったような人類の新しい局面を開いたことは、まぎれもない事実であり、それは国家の壁を超えて“人類”としての意識の高揚にも大きな役割を果たしています。しかし、それにもかかわらず“人間は本当に幸せになったのか”といえば、イエスと単純に答えられない複雑さが人類の前に横たわっています。
 この複雑さはどこからきているのか。要因は種々あげられるでしょう。科学そのものが“両刃の剣”であることもそうです。科学至上主義に走って、人間の精神世界とのバランスが崩れてきたからだとの指摘もあります。私は何よりもまず科学の発達がもたらした人間の“外なる世界”の進展がそのまま“内なる世界”の拡大につながっていかなかった点を看過してはならないと思います。これはひとえに人間の内面世界への洞察が十分でなかったからであり、人間に対する徹底した生命洞察の哲理が、科学技術発達のバックボーンとして位置づけられていなかったからだといえましょう。
 科学の発達によって人間が夢見た宇宙空間の探究が現実のものとなり、それによって精神空間が広がったことはあるにしても、反面、物質的な豊かさが人間精神の働きを狭小なものにしつつあることも現実の問題でしょう。今私たちにとって必要なことは、精神の世界を豊かに開発することでしょう。
 そこで科学を教える時も、人間全体、とりわけ精神世界とのバランスのうえで教えられるべきだと思います。それは精神世界を追究する学問が数量的に検証されにくいからといって、軽視されていい性格のものではないでしょう。
 総長は長年、科学の発展に貢献されてきたわけですが、その立場からこの科学の発達と人間精神の開発との関連性をどのようにとらえておられますか。また、これからの科学教育の方向はどうあるべきだとお考えでしょうか。
2  ログノフ 科学の発達は人間を幸せにするかという問いかけは、すでに太古から出されてきたことです。文明の黎明期に、賢人はこの問いかけに対して肯定的な答えを出すことを急ぎませんでした。早くも古代ギリシャの哲学者エクレーシアは「多くの英知のなかには多くの悲しみがある。知識をふやす者は悲哀を増す」といって嘆きました。同時に、また同じエクレーシアの言葉に「愚鈍に対する英知の優位は、闇に対する光の優位に等しい」という表現も見いだすことができます。
 今日、人々は、科学の進歩は、それが公益や寿命の延び、人間の物質的および精神的欲求が最大限充足されるような社会関係の創出をめざす時にのみ、人間精神の開発、人々の幸せに寄与しうるとの結論に達しました。
 ロシアにおける社会主義革命の勝利は、科学の成果を数億万の民衆の共有財産に変えました。ソ連では毎年百万を上まわる人々が大学を卒業しており、国民の約三分の一が不断に自分の教養水準を高めるため、さまざまな教育形態を活用しています。一言でいって、人間文化の主要成果に人々が親しむプロセスが進行しているのです。もちろん、それと並行して、生活そのもののより深い把握、人間の幸福観について再検討するプロセスも進んでいます。
 私には、このような環境は人間精神を豊かなものにし、人々の生活に新しい意義づけを与えると思われます。幸福観は人々の生活目的や個人的な計画の実現と結びついているだけではありません。それは精神的充足感を前提としており、知識欲、社会的福利への自由な創造活動と直結しているのです。
3  科学技術が急激に進歩し、科学がますます細分化されつつある今日の情勢において、個々人は自然科学および人文科学の分野で、しかるべき教養を身につけなければなりません。それは近代企業で働くという点だけをとってみても必要なのです。
 というのは、コンピューターでさえ“心”をもっているとよくいわれます。これはそれなりの理由があってのことです。“心”をもつ敏感な機械を高度の教養知識なしにどうして使いこなすことができましょうか。
 ソ連の大学その他の高等教育施設のカリキュラムには社会科学、基礎自然科学、専門課目の総合的方法の必修が定められています。修学課程におけるこうした傾向は将来の専門学科と密接に連結しています。このことは、たんに高度の専門知識をもったスペシャリストを養成するだけでなく、精神的に豊かで科学発達の法則を理解し、その科学知識を社会福祉の向上に役立てる能力をもった人間、高度の精神的・道徳的資質とともに現代の科学観を身につけた人間の育成を可能にします。大学のカリキュラムは科学技術の進歩を反映しながら絶えず更新されています。
 ソ連では、学生が文学や芸術に親しむことに大きな注意が払われています。調査が示すところによりますと、わが国の青年は、西側世界で読書、とりわけまじめな著作への関心が低下しているのに比べて、最も多く本を読んでいるとされています。私の考えでは、西側世界の国々で、この点について少なからず責任を負わなければならないのは、マスコミだと思います。ソ連の新聞、雑誌、ラジオ、テレビについていえば、それらは青年男女に科学や芸術のとくに重要な成果、社会生活の最も意義深い出来事を紹介すべく努めています。

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