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日蓮大聖人・池田大作

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文化交流のあり方  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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1  池田 人類のさらなる発展のために、私は異なる文化の交流が、これまで以上に進められるべきであると考えます。
 もちろん、文化の交流は、過去の歴史においても、意図するとしないとにかかわりなく、かなり広範に行われてきました。しかし、その多くは、人間同士が殺し合う戦争を経て、その結果もたらされた征服と屈従という関係のなかから生じた文化の交流であったといえます。今求められるのは、戦争を未然に防ぐための文化交流であり、それぞれの文化が豊かさを増していくための文化の交流です。
 私は、これまでいろいろな国を訪問し、多くの事を感じ、また学んできました。ヨーロッパでは、フランスにせよイギリスにせよ、自分たちの祖先がつくりあげたものを、じつに大切にしています。街並みがそのまま歴史であり、世界的文豪が生活した部屋、筆を執った机、コーヒーを飲んだテーブル――そうしたものがそのまま現代に伝えられており、しかも人々の生活のなかに生きている。その社会の伝統を見事に現代に生かしている姿を見るにつけ、貴重な文化的・歴史的遺産を「進歩」という概念によって軽視し「開発」という名分によって次々に破壊していく日本の現状を反省させられました。
2  もちろん「ヨーロッパの没落」の背景には、伝統を重んずる精神が停滞というマイナス要因として働いたという面もあるかと思いますが、しかし人間的な生活という視点から見た時、過去の人間の営みを大事にする雰囲気というもののもつ重要な価値を、私は学ばなければならないと痛感したものです。
 また逆にアメリカでは、活力の低下が指摘されてはいますが、建国当時のフロンティア(開拓)精神はまだまだ力強く脈打っていますし、新しい文化現象を生みだすエネルギーに圧倒される思いもしました。新しいものを生みだす背景には、今日のアメリカの混迷、模索の悩みを見ることもできるわけですが、ヨーロッパの荘重さとは違った意味で、力強い創造の波動のようなものを感じました。そしてまた、あらゆる異質の文化を受け入れ消化していく奥深さに、アメリカという国の余裕を見る思いがしたものです。
 隣国・中国は、革命後四十余年、社会主義新中国建設の途上であり、試行錯誤の苦悩は当然のことですが、さすが五千年の歴史をもつ国です。エネルギッシュな創業の戦いのなかにも、自信と余裕が感じられました。中国と日本とは、すでに二千年におよぶ交流があり、数多くのことを日本は中国に学んできました。言葉にしても、思想にしても大きな影響を受けているだけに、祖先の文化を訪ねるような思いがしたものです。
 中国とは違った意味で、インドは日本文化の源流であり、なかんずく、私は仏教徒ですから、釈尊ゆかりの地であり仏教発祥の地であるインドには、特別な感懐をいだきました。ともかくインドには不思議な、人を人生への思索に誘う雰囲気に満ちています。
 細かく論じれば、いろいろな視点がありますが、私はヨーロッパの文化には“洗練された伝統”を感じ、アメリカでは“創造性溢れる活力”を、中国では“人間の智慧と歴史の重み”を、インドでは“思索に誘う哲学性”を感じました。そしてお国を訪れて感じるものを一言でいえば、“人民の生きることへの意志”です。
 ログノフ総長も、数多くの国々をご存じのことと思いますが、各国の文化、風土についての印象と、日本の文化についてのご意見をお聞かせください。
3  ログノフ それぞれの国民、それぞれの国の生活における文化的伝統、また、国際交流において文化交流のおよぼす影響についてのお考えを興味深く拝聴しました。
 この項であなたは多くの問題に言及されています。そのいずれが重要であるかはすぐには言いかねます。しかし、それらのもつ意義からみて、そのいずれもが重要かつ第一義的意義をもっていると思われます。
 たとえば、あなたは、ヨーロッパに比べて日本においては、重要な文化遺産、歴史遺産が「進歩」の名のもとに傷つけられたり、「開発」の名のもとに、しだいに破壊されていることを憂慮されています。それは日本だけにとどまらない今日的な課題です。それは単純なものではなく、生活の多くの側面を包含した問題です。
 私が理解するかぎり、ここで問題になっているのは文化の継承、文化遺産の保存、過去と現在の不可分の結びつきといった事柄だと思います。そうした問題には環境保護、地球上の生活の発展に関連した多くの破壊、生態環境の汚染等の問題も加えられるでしょう。いわば、じつに重大な問題です。それ以外にも人類全体の利害にかかわる焦眉の問題があり、その解決のためには各国共同の努力が要求されます。

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