Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

福祉制度を活かす道  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  池田 ソ連の福祉制度が、世界でも最も高い水準にあることはよく知られていますが、やはり、福祉の高水準で知られるイギリスで、このような話を聞いたことがあります。八十歳を過ぎた身体の不自由なおばあさんが、日の当たらない小さなアパートでひとり暮らしをしている。暖房も、古ぼけたガスストーブ一つで、パンをお湯にひたして、食事にあてているという粗末な生活であったというのです。
 なぜ、立派な福祉制度がありながら、年老いた婦人が、こうした生活をしているのかというと、援助を受けるための申請のしかたを知らないし、申請書も書けないからだそうです。このほかにも、書いても誤記が多く、結局は許可されない場合が多いということです。せっかく制度があっても、申請ができず、その恩恵に浴さない人々は、決して少なくないとのことです。
 私は、制度というのは、人間の体でいえば、骨格にたとえられると思います。制度は必要不可欠ではあるが、そこに、温かい人間の思いやりという血が通う肉づけがあってこそ生きたものになるのです。
 ところが、制度のうえに、この人間の思いやりがそなわることは、実際にはなかなかむずかしいといえます。これには、官僚化の問題もつながってきますが、制度がいかに完璧であっても、人間の温かい心、思いやりというものがなければそれは死んだものでしかありません。結局、人間精神のありようが問われるわけです。
2  ログノフ この問題についてあなたは広い範囲の倫理問題――教養の高い人間ならだれもが自分の生涯を通じて解決しなければならない社会的および個人的な倫理問題――に言及されています。
 あなたは、ソ連の社会福祉制度が世界の他の国々に比べて最も高位にあると正しく指摘しておられます。付言させていただきますと、現在、私どもはすでに十分に完成され、有効に機能している社会保障を質的にさらに改善すべく努めています。このこと自体が「人間的ファクター(要素)」と呼ばれている概念の枠を広めていますし、生活そのものがこの問題にいっそう大きな配慮をするよう求めているのです。
 戦争の結果はソ連人の健康に、大きなマイナスの影響を与え、国民の老化現象を早めました。さらに、人口統計上の変動という特別の理由によってソ連における年金生活者の数がいちじるしく増えました。現在わが国で老齢年金制度を適用されている人口は約四千万人に達しています。ですから、ソ連では社会保障制度の調整がとくに大きな問題となっています。第一に社会・経済上の諸問題の解決が予定されています。この場合、最も重要なのは健康の増進、寿命の延長・熟年者の就労年の延長の可能性といった問題です。
 池田 日本でも、平均寿命が延び、今や男女とも世界のトップクラスになっています。そのことにも端的にあらわれているように、老人人口の占める比率がきわめて大きくなっています。六十歳定年後、再就職する人も多く、定年を延長すべきではないかという声も出ています。他方、若年人口の伸びが止まっているため、将来は老人福祉がますます重荷になることが予想されています。
3  ログノフ ソ連の社会保障対策は年金年齢(男性――六十歳以上、女性―五十五歳以上)の人々にとって最大限の好条件をつくりだすことに向けられています。そうすることによって彼らは国の社会公共生活に積極的に参加することができるようになっています。ここで二つの問題が生じます。一つは年金生活者の労働を国民経済に活用するための条件を法制化することです。第二はこうした問題に対する国民の関心を高めることです。
 私が理解するかぎり、社会保障制度の活性化に役立ちうるのは年金生活者の仕事を法的に規定することです。その内容は、彼らは、高度の熟練をたもつ専門家だけでなく、経験を積んだ自覚的働き手なので、若者の指導者としての仕事に就かせるというものです。言い換えれば、年長者の経験を若年者に直接伝えていくことなのです。
 池田 今日、技術があまりにも急速に進歩し、しかも電子工学の応用によってオートメーション化し、熟練技術を必要としなくなる分野が増えていることは事実です。しかし、それにもかかわらず、人間の熟練した技術なくしては得られないものは、どこまでも残っていくと私は信じます。
 そうした面では、年長の熟練者が活躍できる領域はまだまだあるし、また、それをなくすようなことがあってはならないでしょう。
 ログノフ ソ連ではすでに多年にわたってベテラン(永年勤続熟練労働者と事務員)生産経験者評議会が機能しています。この評議会は労働や教育の問題、とりわけ、青年労働教育運動に関連した広範囲の問題に取り組むことを使命としています。この青年指導運動は生産の領域だけでなく、若い勤労者の私的生活に対しても少なからず、よい結果をもたらしています。
 こうした仕事は創意ある取り組みを要求します。さもないと、年長者と若年者とのこの種の共同はともすると、両者双方にとって形式的なものになってしまうおそれがあるからです。さまざまな年代の人々の間にある種の心理的協調性が必要です。周知のように、それを達成することは容易でなく、つねに成功するとはかぎりません。私の考えでは、ここでは生活体験のほかに、年長者は青年の問題に対して敏感で思いやりをもち、理解することが最小限の条件になると思います。それは好意や親切心に満ちあふれた態度によってのみ可能となるのです。

1
1