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日蓮大聖人・池田大作

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現代社会と女性  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  池田 ソ連は、女性の就業率がきわめて高く、労働においても男女平等の原則につらぬかれていることは、よく知られておりますが、近年、女性の社会的進出は、世界的な趨勢になりつつあります。
 私は、女性が職業をもち、社会的にもあらゆる分野で活躍するようになることは、たいへんに好ましい傾向であると考えています。女性のもつさまざまな可能性は、当然、社会の中で開花されるべきでありますし、家庭の中にこもりきってしまえば、視野も狭くならざるを得ません。
 しかし、その反面において、女性が職業をもち、自立できるようになるにつれて、離婚も増加していくとの指摘もあります。事実、日本、アメリカにおいても、さまざまな職場への女性の進出と比例するかのように、離婚率も上昇しています。
 また、女性が職業に従事することによって、出産率も必然的に下降していきます。かつては、日本も、五人、六人、子どものいる家庭が普通でしたが、現在では、二、三人がやっとで、一人っ子ということも少なくありません。世界的な人口問題を考えれば、子どもを少なくというのは喜ばしい傾向とも思いますが、そこにはまた別の問題も生ずるようです。
2  ログノフ 種の存続は結婚関係を構成する重要な機能です。もちろん、子どもがいなくても幸福な家庭はあります。しかし私は、子どもは家庭において特別の喜びであり、幸せであり、いうなれば、あらゆる良い結婚の見事な結実であると考えます。近ごろ一人以上子どもをもつことは負担が大きすぎると考える人が増えています。もちろん、子どもの教育には大きな献身性が求められますが、このことにこそ人間としての個人的および社会的義務があるのではないでしょうか。
 あなたが言及されている“多子家庭の非現代性”についていえば、私たちの祖先が私たちに遺産として残した有益なもののすべてを無視する必要があるでしょうか。祖先の体験のなかから良いものはすべて摂取したほうが正しいと思います。
 女性の社会への進出という点に関していえば、女性は、自分の生活上の関心を家事だけに限定するという意味での家庭へ戻ることはもはや決してないでしょう。日本はつい最近までこのような伝統の最後の砦としてとどまっていたように思われます。しかし貴国でさえ、氷が動きだしたのです。近年来、私が知るかぎり、日本の女性は家庭の外に出たいとの希望を行動に移しています。日本の女性は生産や政治・社会生活のあらゆる領域に活発に参加しています。
 問題の本質はおそらく夫の収入が少ないという理由だけによるのではないと思います。つまり、なんらかの形で男女が従来の分業に立ち戻るということは、問題ではなくなっています。このような形態は歴史的にすでに姿を消したと思います。社会的生産において女性の活動水準が高まっていくのが、人間文明の社会・経済的発展の特徴です。しかし、個々の産業部門において、女性雇用が非合理的なほど多いという否定的な様相を呈した時、それをどのように克服するかということは、別の問題だと思います。
 先にあなたが指摘されたように、将来は父親も母親も時間の大半を、家庭の環境で過ごすことができるでしょう。それは人間社会や生産手段の発達と向上に応じて労働時間が短縮されるからです。夫婦は共同生活の最初の段階では自己啓発のため、すなわち自学自習に、次は子どもとの接触を通じて教育に、また二人の知識や経験を伝えるためにかなりの時間をさくことができるようになります。

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