Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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家族について
「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)
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池田
お子さんが二人いらっしゃることは先の話のなかに出ましたが、総長が結婚されたのは、いつのことですか。
ログノフ
私は一九五一年、つまりモスクワ大学を卒業した年に結婚しました。妻の名はアンナ・ニコラエヴナといいます。彼女は大きな人生体験をもっています。一九四二年から前線で部隊に加わり戦いました。銀婚式は過去のものとなりました。金婚式が祝えるよう願っています。私は、妻アンナが私たちの共同生活の最初の日から私が終生研究に身を委ねることができるような家庭環境をつくりだしてくれたことで、彼女にこのうえなく感謝しています。
一九五六年以来、妻は働いていません。全面的に自分を家庭、家事、子どもたち、その教育と人格形成に捧げています。ですから、私は自分の子どもたちにそれほど注意や時間をさかずにすみました。もちろん、子どもたちは母親の方により深い親近感をもっています。しかし、そのことで私はなおいっそう子どもたちを愛するのです。このこともまたそれなりに正しいと思います。
池田
男が社会に出て働かなければならない現代社会にあっては、父親が子どもたちとふれあう機会が少なくなるのは避けられないことです。
私の場合、男の子ばかり三人です。悲しいことに、その一人は最近急逝しましたが、あとの二人は学校の教師をしています。小さい時から、私が家庭にいることは稀でしたから、教育は妻が全面的に責任をもってくれました。
ログノフ
総じて家庭や結婚はまず第一にお互いが精神的にも、人生観においても近似していること、相互理解と互助を意味するものでなければならないと思います。
つまり、生涯を通じて蓄えられた貴重な人生体験によるつながりです。そうなれば、私たちが健全な家庭と名づけるものが生まれます。私は自分の家庭もそうした家庭と考えています。
池田
おっしゃるとおりです。私の場合も、創価学会の活動を通じて妻と知り合い結ばれました。戸田先生の弟子として、創価学会のめざすものに対して心を一つにしていたからこそ、私がほとんど家庭に戻れなかった時期も、妻が全面的に支えてくれたのです。
ログノフ
家庭は私にとってなによりも大切なものです。家族や結婚の問題は今日きわめて重大な問題です。なぜならば、それは生活自体によって提起されているからです。家庭と結婚生活の問題は現在、それらの家族がどこに住んでいようと、ソ連であろうが、日本であろうが、そんなことに関係なく、今日では多くの国の学者やごく普通の人々が苦慮している問題なのです。
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池田
簡単に一緒になり、簡単に別れてしまう男女があまりにも増えています。家庭が本当の意味での生活の基盤、人生の支えでなくなっています。これは、幼い子どもたちにとってとくに重大な問題です。この点については、後に論じたいと思いますが。
ログノフ
現代の若者は私たちが生きてきた時代よりもずっと良い環境で生活しています。今の若者は発育が早い(第一に肉体的に)ので、結婚も早くなっています。愛、ロマンス――それはすばらしいことです。しかしまた、間違うのは簡単です。愛と憎しみは紙一重と言います。憎しみは人生における苦しみであり、失望です。ですから、私は若い人たちに言うのです。急ぎなさるな、慎重にやりなさい。愛は必ずやってきます。しかしそれは一シーズンだけ生きるボウフラのようであってはならないのです、と。
池田
適切で、ユーモアあふれる助言です。現代の若者は「愛」ということをあまりにも気軽に考えているように思えてなりません。愛しているから一緒になる。愛がさめたから別れる。しかし、その間に生まれた子どもはどうなるのか。子どものことだけとってみても、無責任という以外にないケースが増えています。結婚ということには、ただ、二人が互いに、今愛し合っているというだけでなく、これから一緒に生活を営んでいくなかで深まっていく愛なのかどうかということが考えられなければなりません。
ログノフ
「恋する者のみが人間と呼ぶ権利をもっている」と、わが国の偉大な詩人アレクサンドル・ブロークは言っています。
私は自分の初恋が小・中等学校の三年生の時だったことを憶えています。今でもその少女の名前を憶えています。もちろん、このことはだれも知りませんでした。彼女自身さえ知らなかったのです。少年特有の内気と同時にプライドがそれを打ち明けることを許さなかったのです。
人々は早くも子どものころからだれと仲良くしたいか、だれと仲良くしたくないかを直観的に感じ取ります。そしてたとえば、すでに結婚した後に夫婦の間に深刻な対立があることがわかったとします。そのような家庭は存在すべきではないと思います。だからこそ最初の選択が大事なのです。共同生活の第一歩から過ちを直すことが困難な場合があります。ほとんどの場合、傷を癒すことはとても困難なのです。
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