Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

キリスト教と東洋  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
1  キリスト教と東洋
 池田 あなたが先ほどおっしゃったように、キリスト教は、オリエントからきた一つの特徴をローマ世界の中に導入しました。私は、キリスト教の愛の思想や神についての考え方は、その本来に立ちかえってみると、仏教の慈悲の思想や、根源的な法という考え方と相通じるものがあるとみています。
 もとより、仏教とキリスト教とでは、仏教のほうが古く、また中東にも広まっていた時代があったはずであり、仏教がキリスト教の成立になんらかの影響を与えたとも考えられます。この可能性について、あなたはどのようにお考えになりますか。
2  ユイグ たいへんに興味深い問題であり、また本質的な問題だと思います。これは、その基本的な二元性にもかかわらず東洋と西洋との交流の問題です。私は、この二元性は、きわめて現実的なもので、これが二つの文明圏によって二つの極――といっても敵対するのではなく補充しあう極ですが――をつくっていると私は考えています。そして、ここにも、生命に働く本来的なものといえる、対抗するもののあいだに生ずる緊張が当てはまるのがわかります。そして内面的生命もやはり、この対立なしにはありえないのです。
 ある有機的組織体が構成されると、それは自らを確定し、自分を表現し、いわばその主要な自分の特性を強く打ち出して特殊化しようとします。そして、そのために、全体の調和を破るような偏向性を与えてしまうのです。事実、ヨーロッパはこの現実的・物質的・技術的な生活の面を重んじたのに対し、東洋は、それと反対に精神的な関心を優先させようとしてきました。
 そういうわけで、世界の思想の歴史において、東洋と西洋の交渉は決定的な位置を占めており、この問題に対する興味から、私は数年間、コレージュ・ド・フランスでこれについて講義をしたのです。
 キリスト教発祥の地の問題は、まちがいなく重要性をもっています。キリスト教は地中海世界の東岸で生まれました。ということは、商業上の必要からシルク・ロードのような道路がアジアの平原を通って到達するところであったということです。
3  池田 あなたが指摘されているように、キリスト教が誕生した地中海東岸は、アジアと西洋世界を結ぶ大動脈であったシルク・ロードの端に当たっており、東洋からの影響をうけた可能性があるということは、私も大いにありうることだと考えています。
 そのころ、シルク・ロードの中間点であり、インドから北上した線が交わる中央アジアにおいては、大乗仏教が栄えていました。しかも、ここから西は、古代ペルシャ帝国の文明が栄えた舞台で、大乗仏教の舞台と地中海岸とのあいだは、今日考えられるほど広漠たる文化的・政治的・経済的空白地帯で隔てられていたのではなく、ペルシャ帝国の交通網が、かなり緊密にこの両者を結んでいたと考えられます。
 もちろん、そこには砂漠地帯が広がっており、その通行がいかに難渋をきわめたかは、アレクサンダー大王の征服の記録からも知られるところですが、それにしても、当時は、ペルシャの偉大な文明世界があって、大乗仏教の栄えた土地は、その文明圏の東端に近く、キリスト教は、その文明圏の西端で誕生したのですから、両者のあいだの交流は、今日想像される以上に容易であったと思うのです。

1
1