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日蓮大聖人・池田大作
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仏教による生活価値
「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)
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仏教による生活価値
池田
生命の発展について、あなたは、物質から生命へ、それから意識の発生、さらに精神の形成という段階を示されています。それに関連して、私は、創価学会の初代会長、牧口常三郎先生の立てた価値論を思い起こします。
牧口会長は、価値の内容として“利、美、善”を提示しました。利とは、生命維持のための物質的条件をさします。あなたがいわれた段階では、生命的存在が追求する価値が、利に相当すると考えられます。
美とは、たんに醜に対する美という、目でとらえられるものに限られるのでなく、広く感覚器官にとって快いか否かということ、さらには、感情的な好き・嫌いも、これに含まれます。したがって、あなたのいわれているところでは「生命に方向づけをする意識」があらわれたときに追求する価値となるものと考えられます。
善とは、利と美を人びとや社会に提供し、人びとの幸せのために貢献することで、その反対概念は“悪”になります。この“善”は、あなたのいわれる「意識に一つの方向性をもたらし、意味づけをする精神」の追求するものになると思われます。
このような、利、美、善の価値論と、そのもつ意義について、あなたは、どのようにお考えになりますか。
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ユイグ
まず牧口会長の説かれた価値の意味を正確にとらえてみたいと思います。“美”と“善”はヨーロッパで使われていることば“beau”と“bien”に相当していると思いますが、“利”すなわち“profit”ということばは誤解される恐れがあります。仏教を求めるフランス人は、このことばを聞いて驚くことがよくあるそうです。私はむしろ“accroissement(生長)”といったことばがいいのではないかと考えます。このことばは生命が要求する発展という意味を含んでいます。なぜなら生命は維持するだけにはとどまらず、発展することを要求するものです。“利profit”ということばはフランス語ではほとんどの場合、金銭と結びついているのですが、この“生長”ということばならば、儲け、すなわち物質欲を念頭に浮かべることもありません。
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この条件を前提として、牧口会長の三つの価値について考えてみますと、第一の価値は、生命の営みにとって基本的に必要なものということができるでしょう。これは目的というより出発点にあたるもので、厳密にいって、私にとっては“価値”とはいえません。というのは、これ自体は質の探求ということを含んではおらず、生命は、その感覚のすべてを生きることにささげるために、そこに結びつけられているのです。“生長”は、いわゆるヨーロッパ哲学が、“生存を維持する意志”と呼んでいるものにだいたい相当すると思います。
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