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不断の上昇  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  不断の上昇
 ユイグ 人間の深い使命が、その歩みをひきおこし、正当化していったとき、芸術と哲学的思索と、周囲への愛と、宗教とになります。この人間の使命が自己完成し、その射程を、いうなればその発展とともに明確化することこそ、他でもない“創造”全体につながっていく進歩の明確で究極的な推進力なのです。
 ルナン(十九世紀のフランスの言語学者で宗教史家)のように直観的で明晰な頭脳は、物質主義的決定論が勝利を収めていた、今から一世紀以上前に、このことをはっきりと理解していました。当時の学者たちが絶対的と信じていた実証的理念に厳密に忠実であった彼の友人ベルトロ(フランスの化学者)にあてた書簡以上にこのことをよく示しているものはありません。一八六三年に彼が書いたものを引用してみましょう。そこには、なんという新鮮で鋭い視点があることでしょう。彼は言っています。
 「時間と進歩への傾向という二つの要素が宇宙を解明する。生命すべてを押しあげている本質的な、一種のバネがあり、それは生命をますます発展させていく。ここに、欠くべからざる仮説が存する。植物や動物の中にあらわれているもの、まえもって描かれた一つの枠組みを満たす種子をもたらす深い本質的な力を宇宙の中に認めなければならない……」
2  進歩を推進しているこの“深い本質的な力”“バネ”こそ、まさに、私がこの進化の中に認めているもので、これについて、私たちは、長遠な時間を通じて、物質から生命へ、生命から意識へ、そしてこの意識が到達しうる、絶えず高まる発展段階へと移っていく、途絶えることのない軌道をたどってきました。創造の歴史について私たちの知っているすべては、これまでなにものにも妨げられることのなかったこの上昇の営みとして要約されます。そして、現在のところ、知性を精神にまで導くことのできる力のおかげで、この営みの最も高い完成度を示しているのが、人間なのです。
 この既知の曲線から、その延長がどんなものであり、なにに向かっているかを、数学者がするように、演繹し推論することができなければならないでしょう。ここに、“創造”が向かっている意味の秘密が横たわっているのであり、比喩的にいうと、人間はロケットの自動誘導装置のような役割を担っているのです。
3  これらの発展段階についてヴィクトル・ユゴーは、ルナンより早く、ルナンより明確に、驚くべき明晰さをもって理解していました。彼の『亡命日記』の一八五二年四月十七日の項には、ノルマンディの島で孤独な生活を送っていたこの“先見者”の暝想がこう記されています。
 「鉱物的生命は有機的、植物的生命へ移り、植物的生命は動物的生命となる。その最も高まった代表例がサルである。サルからさらに上昇すると、知的生命が始まる。人間は知的段階の最も低いところに座を占めている。知的生命の段階は見通すことのできない無限の段階であって、この段階によって、各自の精神は永遠性の中へ登っていくのであり、その頂に神がいるのである」
 ユゴーは、知性が“人間の門の黒い閂”にぶつかること、そのとき精神がそれを超えていこうとするのでなければならないことを感じ取っていたのです。……その場合、芸術と宗教が、彼の選ぶことのできる二つの道であるわけです。

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