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芸術と文字――東洋  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  芸術と文字――東洋
 池田 文字は、大きく分けて表音文字と表意文字に区別することができると思います。
 表音文字の場合、あくまで音声としてあらわされる話しことばが中心になり、直線や曲線であらわされる文字はそれを写したものという立場になりましょう。これに対して表意文字は、その意味するものがもっている特徴を目に見えるものにあらわし、象徴的に表現したものです。
 表音文字の場合は、声に出して読むことによって、意味をもった価値が生じます。というのは、同じ言語の共同体の中にあることばの音声的内容をコピーしたものだからです。そこでは文字は音声のことばから出たものなのです。ところが、表意文字の場合は、文字自体が意味をもちますから、音声であらわされる話しことばとは、ある意味で独立した、それ自体の世界をつくりあげるように思われます。
 表音文字の文化は、音声のことばを扱うのは現実に生きている人間ですから、現実主義的な特質をもちます。これにくらべて、表意文字の文化は、ひとたび文字としてあらわされたものが、もとの人間とは別の世界をつくり、かえって人間の世界を支配する、つまり、文字による観念が個人を支配する傾向があるのではないか、とも考えられます。
2  このような単純な類型化は、あるいは少し極端かもしれませんが、少なくとも、これら二つの世界のあいだに、なんらかの本質的な相違が摘出できるのではないかと考えています。
 この二種の文字の違いを、より明確にするために、おそらく、西洋の人びとの多くは、中国や日本の文字について知らないのではないかと思いますので、概略、述べておきたいと思います。
 あなたもご存じのように中国発祥の文字――それを日本や朝鮮も採用していますが――は、まさしくデッサンから始まっています。たとえば山をあらわす文字は、三つの山が重なっている絵がもとになっています。川は、水が流れる様子を三本の線であらわしたものです。
 こうして、具象の事物をあらわす文字がつくられ、つぎに、具象の事物を組み合わせて抽象的な事物や、固定的にとらえられない行動、あるいは、かたちで示せない観念的な行為――たとえば、思う、考える、感ずる――をあらわす文字がつくられていきました。
3  日本人は、西暦一世紀ごろから、この中国の文字を取り入れるようになったといわれています。初期のころは、日本語の音をあらわすのに、それに該当する音をもった中国文字をそのまま用いていましたが、九世紀ごろから、中国の文字をくずして簡略化した平仮名、一部を省略した片仮名が考案され、中国の文字とこれら表音文字とを混ぜて使うようになりました。
 それはともかく、本来が象形文字であることと、筆記する用具が動物の毛を束ねた筆で太さを調節しながら書くため、文字を書くことは技巧を要し、深みと広がりをもつものとなりました。中国においても、日本においても、歴史上、幾人かのすぐれた名筆家の作品が伝えられています。
 日本では、古来、上手な字が書けることがすぐれた教養の要件とされ、教育の一つの大きい要素となってきました。明治以後、近代化とともに筆記道具として西洋のペンが用いられるようになり、毛筆による書は、日常的な意味を失いました。しかし、公式文書の署名や、看板その他、大きい文字を書く場合は毛筆が用いられることが少なくありませんし、書道は教養の一つとして、今も広く行われています。

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