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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 東洋と西洋の芸術  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
1  第二章 東洋と西洋の芸術
 池田 日本をはじめ、東洋の仏教芸術ではどのようなものをご覧になりましたか。そして、どのような印象をうけられたでしょうか。
 また、キリスト教の宗教画などと比較してどのような違いがあると思われますか。
2  ユイグ 私の仏教美術との出合いは、自分の研究と本と展覧会、博物館、また旅行とくに日本の旅行で得られたものです。
 それによって、私が感じたことは、まさしく、西洋と東洋の文化を通じて、ときには相反する、異なった二つの精神的態度というべきものがみられるということです。このことは、極端に単純化した分け方かもしれませんが、東洋と西洋は、はっきり区別される、全体的に別々の性格をもった二つの実体として扱ってよいのではないかということです。しかし、それには、うんと保留をつける必要があります。なぜなら、東洋の芸術にも多様性があり、それと同じぐらい、西洋の芸術にも多様性があるからです。
 しかしそれにもかかわらず、それらに対して目を開き、それが目に入ってくるにまかせてみるとき、それらがそれぞれの自律性をもった二つの精神世界をあらわしていることを認めないわけにいきません。この自律性は、私たちがこの対話を通じて、いろいろの観点から明確にしようとしてきたことです。
3  これら二つの芸術の中には、象徴的で物語的な志向性をもつものがあり、それが宗教的なものである場合は、一つの教義に順応して、その教義の内容をイメージによって伝えるためにつくられた聖人像があります。しかし、それだけではありません。さらにそれらは世界に立ち向かう二つの態度をあらわしており、例外はいくらでもありますが、それにもかかわらず、それを明確な表現をもって伝えています。それは、西洋人は、ときには外的世界の事物に精神的生命を染みこませるにせよ、あるいはそれに省略した表現を与えることで満足しているにしても、より以上に外的・物質的世界とその厳密な外見に愛着をいだく。それに対し、東洋人は、自己への精神の集中を通じてしか垣間見ることのできないもう一つ別の世界への接近を求める、ということです。瞼を閉じ、四肢を緩め、微妙な笑みをたたえた仏陀の像は、私にはこの芸術の精華をあらわしているように思われます。

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