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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 生命の内面的変革  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  第二章 生命の内面的変革
 池田 私は、現代文明の最大の欠陥または歪みは、究極するところ、人びとに自らの内面を凝視し、それを正しく導いていこうとする姿勢を失わせていることにあると考えています。広い意味で、高等宗教は、人間に、内なる声に耳を傾けるよう教えたものといえます。キリスト教やイスラム教は、そうした内なる声を天なる神の声として示したものでしょう。しかし、内なる声は人間自身の生命の内にあるはずです。東洋の仏教は、この生命の内なる世界へ分け入ったのです。
 まさしく、人類は外側にのみ心を向けていますが、いまや、内側へも、より以上に心を向け、両者の均衡を実現しなければなりません。
 人びとは正常な平衡と調和を失っていますが、この内と外との働きかけを、一方のために他方を犠牲にすることなく、ともに進めるようになったとき、真実の進歩を遂げることでしょう。この内なる声への覚醒のために、仏教は最も明快な導き手となりうると私は信じています。
 あなたもいわれているように、もし、人間にとって真実の進歩が内面的な進歩であるとするなら、この内面的進歩とは、私は、自己の欲望などによる衝動や、業によって形成された偏りに対し、それらを抑制し、正しく導いていく精神的な強さを増すことであると思うのですが、いかがでしょうか。
2  ユイグ あなたが指摘された欠陥が、まさに、とりわけ西洋を害してきたものです。しかも、残念なことに、それは拡散し、あなたも認められるように、いまや日本が、工業化社会への急速な変貌によって、同じサイクルの中にはまりこんでいます。
 この問題について責任があるのは、行動性と効率を好む西洋人であり、外の世界に対する支配を増大するために科学を発明した西洋人です。そして、過去幾世紀かにわたって、このゲームを先導し、世界を征服したのは、西洋人だったのです。
 西洋人が他に先駆けて、環境世界とそれがもたらしてくれるものについて厳密に表現する諸能力、したがって本質的に知的な能力を発達させたのは、この必然の結果です。この能力によって、感覚の働きを通じて正しく知覚することができ、つぎに、その結果もたらされる印象をコントロールし、それを、理念の段階したがって抽象化の段階をとおさせることによって普遍的価値を付与しながらすることができるのです。
 この抽象(abs―traire)するということばは、その語源が表しているものを、きわめてよく物語っています。抽象するとは“~から引き出す(ex―traire)”ことです。事実、人びとは特定の事物に結びついた感覚的なものの漠然としたかたまりから、さもなければ、その自律性の中で別々のものと感じられるような諸現象を統一することのできる、恒久的で一般的な条件を抽出します。
3  このことから人びとは進行性の乾燥化におちいりました。私たちの精神生理学的な身体組織が、このことを確証しています。その点を私たちは見たばかりです。人類に特有なものである大脳新皮質は、私たちがもっているさまざまな表象のあいだに、相互の関連・関係と同一性を打ち立てるのに役立ちます。それはしだいに“経験したこと”のかわりに、その代役をする“考えたこと”をおくことを可能にします。
 彼は情動性から脱却しますが、しかし、その半面、一つの一般性をかちとります。この一般性は、“感じたもの”にはないもので、“感じたもの”はつねに偏っており、自らを呼び起こした現象から離れられません。
 大脳新皮質と、この大脳新皮質に付随している能力――つまり本質的に知的な諸能力――の極端な発達は、部分的な“鬱血うっけつ”をひきおこしました。この身体の中で、器官に送られる血液を比較例として使うならば、血液の総量が変わらないままで、ある一つの器官を過度に発達させ、そこへ多量の血液を送ることは、身体の他の部分の貧血をもたらすことになります。

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