Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第一章 調和の鍵
「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)
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第一章 調和の鍵
ユイグ
調和は平衡という
穹窿
きゅうりゅう
の要石であり、それなくしてはなにものも時間の流れの中で自己を実現することはできません。それは、人間にとって外界との関係においてとまったく同様に、内面においても基本的なものです。人間はその内面にあっては、そのもっているさまざまな可能性や能力をなにひとつ窒息させないよう調和を保たせなければなりませんし、外側の世界との関係にあっても、環境すなわち、本質的に自然という私たちがおかれている世界とのあいだにも調和を打ち立てていかなければなりません。
不幸なことに、現代文明はこのことに気づいていないのです。現代の文明は、もはや自らがめざし取り組んでいる部分的で偏ったビジョンしかもっていません。なぜなら、現代の文明はあまりにも直接的で狭い功利性にとらわれているからです。それについては“事象”に基盤をおいているとして示してきたとおりです。そこでは個々の事象は、明確に知覚され分析されるために切り離され、定義づけられなければなりません。イギリス人は“
事実問題
マター・オブ・ファクト
”という表現を習慣的に使うという特徴的なやり方でこれを説明します。
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現代では、生きている物のように“全体の中でかかわっている”ものではなく、具体的対象物のように“その限界内で”とらえることのできるものでなければ、なにごとも価値がないようにみえます。現代人にとって自然は、その秘密を暴露し、やがて人間の利益のために開発されるべく実験用の解剖台の上におかれた動物のようなものです。
フランスで行われた数学教育の最近の改革は“
集合
アンサンブル
”という基礎的な概念を進めさせることをねらったものでした。しかし、この“集合”という意味が反映されなければならないのは、現代人の生き方全体についてです。
たぶん、これが、現代文明のような科学的で実際的な文明と、一つの宗教に基盤をおいていた過去のあらゆる文明とのあいだの大きな相違です。宗教の特質は、一つのビジョンと全体観を提供してくれることで、そうした全体観の中で物質的現実と道徳的現実、内面世界と外的世界が調和を保っていくのです。そうでない私たち現代人は、具体的事象の多様性の中に埋没し、せいぜい一つの事象ともう一つの事象の論理的な関係を知覚するだけで、
全体の統一
アンサンブル
を実現している調和の関係についてはまったく知らないでいるのです。
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池田
そのとおりですね。しかし、そうした、かつて人間と自然のあいだに打ち立てられていた関係にも違いがあります。原始的な宗教は、東洋でも西洋でも、自然に神性を認め、人間はこれらの神に服従すべきものとしていたように思われます。これに対し、ヨーロッパでは、ユダヤ・キリスト教が、人間こそ自然に対する支配者であるという考え方を発展させてきました。
私は、これらは両方とも極端で、正しくない考え方であると思います。仏教では、人間の尊厳性を強調し、それを実現する方途を明らかにするとともに、人間と自然とは相互に依存しあい、助け合うべき関係にあることを教えています。こうした仏教思想が、これからの人類文明においてもつ意義を、他の諸宗教と比較して、あなたは、どのように評価されますか。
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