Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

平和  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
1  平和
 池田 世界の恒久的な平和を実現するために、最も必要なことはなんであると考えられますか。また、そうした平和な世界を実現することの可能性について、あなたはどのようにお考えになりますか。
 この問題には、当然、政治的・機構的な問題も含まれますが、とくに人間の精神的側面に関して、あなたのお考えをうかがえれば幸いです。
2  ユイグ 私は、明らかに、われわれは世界平和の樹立のために働くことができるし、また働くべきであるという信念をもっています。しかし、一方からいうと、その恒久的な維持の可能性という点については、かなり深い疑問をもっていることを白状しなければなりません。事実、そこに到達するためには、人間は、もっと高い段階の存在でなくてはならず、人間を動物性からへだてている距離がもっと短くないものになっていなければならないでしょう。
3  もし間違っていなければ、コンラート・ローレンツ(オーストリアの生物学者)がいみじくもいっているように、人間が動物とわかちもっている一つの基本的な要素は攻撃性です。彼は、たしか、このことばを最も広い意味で使っており、その意味の広さは一つの希望を生じさせうるほどでさえあります。
 その攻撃性とは、要約すると、人間あるいは動物において、他の動物あるいは人間に対し、また、ときとしては自然に対して、自己自身の拡大と確立を推進する力なのです。この生命の推進力をとりのぞくことなど考えられません。しかし、精神分析でいわれるように、それを昇華することはできます。この攻撃性は、単純に野心になり、よい意味での競争心に変わることができます。
 したがって、攻撃性の向かう方向をそらせることによって、攻撃性からその破壊的潜在力をぬきとる試みが必要でしょう。現代生活において、スポーツはこの振り替えのすぐれた一例です。なぜなら、スポーツの魅力は、肉体的抑圧の発散であり、人びとはチームの懸命な努力をみることによって、そこに自らを同一化し、他に勝とうとする欲求を満たすのです。スポーツの見物は、アリストテレスのことばを借りれば一種のカタルシス(浄化)、すなわち攻撃性の放電として奨励されるべきことです。

1
1