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日蓮大聖人・池田大作

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人間革命  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  人間革命
 ユイグ 私たちの心を他のなににもまして占めている基本的な問題がそれです。
 現代の危機は、人間がもっぱら物質主義的な目標から離れ、再び平衡を保つようになることをぜひとも必要としています。そしてこのことは、資本家にとっても、プロレタリアにとっても、まったく同じように価値あることです。
 事実、客観的事実から、人びとは社会主義が、どんな形態をとっているにせよ、私が先に申し上げたその退廃の事実のために重大な危機に脅かされていることを認めざるをえなくなっています。その危機とは、民衆を再評価しようとするのではなく、逆に、新しい小市民に変えつつあるということです。その結果、民衆は、その本来の源泉から遠ざかるにつれてその深い特質を失っているのです。農村の人びとは、保持されるべき真正の生きた、本質的な力の豊かさを形づくっていました。
 プロレタリアは、しだいにそうした源泉から遠ざかっています。今日みられるとおり、人びとはもっぱら具体的で物質的な欲望を追求し、ただ安楽さと安楽さへの好みとがもたらされたときにそれを進歩と考え、ブルジョア階級を堕落させたのと同じ精神状態におちいっています。
2  こうして、マルクスの予見とは反対に、ブルジョア階級は、この新しい階層にその実際的で実利的な考え方を教え込みながら吸収し、ますますその基盤から養分をとりいれています。幻想にとらわれない観察者ならだれでも、階級闘争は、地歩を勝ち取ろうとする貪欲な新しいブルジョア階級と、すでに勝ち取った立場を維持しようとする古いブルジョア階級とのあいだの内部抗争に変形しつつあることがわかります。私は、これは望ましいことだとは思いません。
 めざすべきことは自由な型の社会が創設されることであり、しかも、それを、あくまでも人間精神の深い変革を基盤に行うことです。それこそ、多分あなた方の関心と精神的野心にもかなっていることと思います。人間を再教育し、人間の内に、具体的な物への執着から離れて、創造的な源泉に結びついていく精神的源泉を再建することが必要です。
3  すでに確認しましたように、画一化された情報手段の普及は、この覚醒を助けるにはほど遠く、人びとをますます受け身の姿勢にし、考え方を画一化します。生活の諸条件と情報と文化の諸条件が結合して、人間に、自己に対する努力と、なにかに向かっていこうとする努力を弱めさせているのです。
 テレビ番組はコマーシャリズムに毒されたそのねらいの低俗さによって、この退廃に甚だしく貢献しています。
 ですから、人間の意志力、自己規制力を発達させて、それによって人びとのエネルギーを効果あるものにすると同時に、初歩的な喜びや安逸によって得られる小さな満足や欲望から人びとのエネルギーを転換させることが必要です。このエネルギーは、生命の原理それ自体です。しかし、それは、偏らないようにしなければなりませんし、流砂の中の川のように、物質的欲望の沼地の中に姿を消してしまうことがあってはなりません。

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