Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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全体主義的社会
「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)
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全体主義的社会
ユイグ
フランスと日本についてここで話し合ったことは、たぶん、余計なことではありません。なぜなら、このことから、私たちは、左右いずれを問わず全体主義的社会が人間的視点からいって、なぜ大きい危険をもたらすかを、よりよく理解できるからです。事実、全体主義的社会は――この全体主義的という形容語がその点を十分あらわしているわけですが――一方の側だけに独断的に傾きます。
一つの体系で合理化され、極端に規律化された集団は、個人を抑圧し奴隷化し、またそのことを布告します。これによって、集団の法としてあらわされた合理性は、生物学的に固有の、とくに心理学的に固有な多様性をあらわしている個人という自然の矯正剤を失います。
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本来的に不変で適応性のない集団的な法の統治は、そのうえ、一種の麻痺を生ずるという欠点をもっています。私たちを無情に引き立てていく時間の法則は、また、生命の法則でもあるわけですが、これは、事象の絶えまない発展と変化を要求します。全体主義的社会は、一つの正統理論の中に容赦なく固定化することによって、一つの固定化の殻の役割を演ずる乾燥をもたらすのです。
このことは、動物の世界をみればわかります。もし、この殻が広がらなければ、個体は、その正常な成長を遂げることは、もはやできず、窒息し、退化し、死滅します。生命の法則に背けば、かならず報いをうけるのです。
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ところが奇妙なことに、世論というのは、徹底的に二つの方向に対立して物事を考える傾向をもっているようです。右翼がその極端に走ってファシズムと独裁主義になるのに対し、左翼はマルキシズムに傾きます。しかし、そこに基本的な共通点があります。それは、ともに個人を押しつぶすという点です。
十九世紀に人間の自由のために情熱をもって立った左翼もまた、自ら、その存在理由を否定する袋小路にはまりこんでいるとするなら、いったい、どんな出口が残されているでしょうか?
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