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日蓮大聖人・池田大作

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自律の喪失  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  自律の喪失
 池田 日本は近代に入るまでは農業国でした。しかし、近代以後は、工業と商業による立国をめざし、とくに工業化のために農業を極度に圧迫さえしてきています。その結果、食糧の自給率はきわめて低く、主食のコメを除くと、ほとんどが輸入に頼らなければならない状態になっています。
 もし現在の状態で諸外国からの食糧供給が断たれたとすれば、恐るべき食糧危機におちいることは必至です。そして、それ以上に、農村の人びとの生活の保障と、農民的な生活感情の保持のために、農業政策を見直すべきだという意見も、しだいに高まってきていますが、現実は、まだ工業優先がつづいており、農業への圧迫は少しも弱まっていません。
 私は、世界経済の全体的な発展のためにも、国際協調の推進のためにも、あるていどの国際的分業は必要であると思いますが、今日のような状態は、あまりにも偏っており、不健全だと思います。日本にかぎらず、先進工業諸国のこれからのあり方について、とくにこの農業をどう保持していくべきかという問題を中心に、あなたのお考えをうかがいたいと思います。
2  ユイグ あなたが指摘されていることは、新しい文明に加担した場合に当然生ずる危険性の一つです。日本は、一種の狂信によって工業社会に改宗しようとして、その平衡を乱している最中であり、諸外国に依存的になっているのです。
 一つの国というのは、大きい規模ではありますが、人間の身体の場合と同じように、その各部分が相互的な働きをとおして補い合わなければならない有機体です。その総体の中で助け合う部分部分の、この緊密に結び合った生物学的な機能なしでは、なにものも存続しえません。このことは、私たちの身体についても真実ですし、同様に、家族や、もっと大きい集団、とくに国家についても真実です。
 国際政治においては、必要欠くべからざる資源について、他の国に依存することは、なんとしても避けるべきでしょう。石油のほとんど独占的産出国であるアラブ諸国がもっている途方もない力は、その最近の、際立った一例です。それに恵まれない国ぐには、もてる国ぐにの要求に屈するか、あるいはその力にすがる以外にありません。彼らが夢中になって新しいエネルギー源をさぐっている姿は、彼らが先見の明のない軽率さに対して支払っている代償がいかなるものであるかを示してあまりあります。農業を奪われては、日本は潜在的にその自治を失うことになります。
3  現在の欲求を満たすには、組織機構は単独の国よりももっと大きい広がりをもたなければならないでしょう。ヨーロッパを相互連帯の結合した共同体として構築しようとする現に行われている努力は、ヨーロッパにとって、この必要性がいかに急を要するかを示しています。ヨーロッパは、団結すれば、力においても資源の点でも、アメリカ合衆国とソ連邦という二つの超大国と対等にやっていけます。しかし、分割され、引き離されたなら、これらのどちらかの後見のもとにおかれるようになる危険があります。
 貿易と交通・通信の拡大によって現代世界の規模は、かつてとは変化しており、その伝統的な均衡は破れています。現代の危機は、新しい均衡への苦悩に満ちた模索の中にあるのです。このことは、社会的観点から確証されます。
 かつては、それぞれの国の中で、社会のさまざまな分野のあいだの仕事の、均衡のとれた配分が実現されていました。ところが、それに代わって階級的憎悪が組織化され教育され、しかもそれは国際的連帯性を基盤とすることによって、国家的な細胞壁を破裂させ、その存在を危うくさせているのです。
 かつて各国の存在は、個々の異なった機能の、均衡のとれた調和のうえに立っていました。十九世紀に発達した政治理念の理論的変形というものを別にして過去をみるとき、かつてのほうが資源をうるための戦いはより困難でしたから、生活の心地よさは少なかったとしても、少なくとも調和はよりよく保たれていたことに気づきます。

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