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日蓮大聖人・池田大作

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農業の運命  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  農業の運命
 池田 農業は、人間の生存にとって欠かすことのできない食糧を供給する部門であり、農業の振興は、永遠に変わらない重要性をもっていると思います。農業文明から近代工業文明への推移ということがいわれますが、実際に移ったといえるのは、先進諸国の、しかも都市圏に関する現象だといってよいでしょう。そればかりでなく、近代工業にたずさわっている人びとも、その最も基盤になる食生活は、農業生産にたずさわる人びとに、また、国際的には開発途上国に依存しています。
 しかし、農業から脱却することが前進であり進歩であるとする、こうした人びとの一般的な考え方は、食糧生産という人類生存の基盤を矮小化し、結局は、自らの生存そのものをも危うくするであろうことが明らかです。近代日本は、この大きな誤りを犯してきている一つの典型であり、私はこのことをなによりも憂えている一人ですが、この誤った考え方は、日本ばかりではなく、世界に共通のものであり、私は全人類がこの考え方を改めることが必要であると考えています。これからの時代において、農業がどのような位置を占めるかということについて、あなたは、どうお考えになっていますか。
2  ユイグ 現代を特徴づけている新しい文明の型は、事実、あなたがおっしゃるように、農業の窒息によって示されます。人間は、農業によって、その環境をどのように自分の要求に従わせるかを学んできました。しかしながら、文化はつねに自然を変革する動きを含んでいるにせよ(たとえば、森林が畑に場所を譲って後退したことがそれです)、これまでの文化は、何千年ものあいだ、自然と人間との平衡と協力関係の中に発展してきました。
 しかし、私たちがついさっき話し合ったように、技術や科学の発達によって、技術者に固有の精神状態が創り出され、工業が増大したとき、この協力関係のかわりに、自然に対する絶えまない侵害をともなう開発がひきおこされたのです。この侵害は、最も弱い人びとに対しても向けられ、プロレタリアを形成しました。それまでは、ときには生活の均衡を見いだすことができた貧しい階層の人びとにとって、産業ブルジョアジーの厳しい監督下におけるほど仮借ない抑圧にあったことは、かつてありませんでした。
 この変異が西洋で起こったことは、議論の余地がありません。西洋は、それに加えて軍事的優越を増大し、植民地主義を実現したのです。非西洋国の国民は、初めこの衝撃を受けました。彼らは、いったんは屈服させられましたが、生命の法則である、交代と補整のリズムによって、反撃を始めます。西洋世界の信託統治はたちまち揺さぶられ、支配されていた人びとは独立を取り戻したのです。
3  しかし、彼らがそれを成し遂げたのは、自分たちのうえにのしかかっていた支配の手段を自分のものにすることによってでした。その結果、東洋は、相反するものへ道を開くことによって、政治的には自由をかちとると同時に、知的には屈服し、西洋の欠点そのものを受け入れたわけです。疑いもなく、日本はそのダイナミズムによって、西洋の精神を迅速に自分のものにし、この改宗を実現した最初の国の一つでした。十九世紀中ごろから西洋と通商を開き、そこから学んで、すばやく工業化しました。と同時に、西洋諸国の軍事的手段も採用したのです。こうして日本は、いわゆる“近代化”を遂げました。
 これは、農業文明から脱皮して工業文明に改宗したのだという以外に言い方があるでしょうか。しかし、工業文明は、西洋の勝利をもたらしたとしても、明らかに、内面的な堕落により、精神的貧困化によって、破滅へ導きつつあることがわかります。
 その危険は明らかになってきています。たとえば仏教の場合のように、宗教を通じてこれまで長い年月その精神的使命を保持してきていた残余の世界が、西洋文明に改宗する過程で、もっぱら実際的・実利的な能力を優先するあまり、内面的生活の源泉を放棄するにいたっているのです。

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