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日蓮大聖人・池田大作

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第二部 危機の歴史的意味  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  第二部 危機の歴史的意味
 ユイグ 現代の文明を揺さぶっている危機の大きさがどんなものであれ、その物質的・道徳的・精神的結果がいかなるものであるにしても、精神は、その意味と未来の結果を小さく見積もろうという誘惑に駆られるものです。ということは、一言でいうと、過去の例を引き合いに出して安心しようとする誘惑に負けるのです。
 あらゆる文明が滅びるものであることは、ポール・ヴァレリ(フランスの詩人・評論家)以来、しばしば繰り返しいわれてきたところです。生きている組織体のように、すべての文明はつぎつぎと老衰に襲われ、ついには消滅し、もはや人びとの記憶の中と、その文明の特質を残している記念碑の中にしか生き残らなくなります。つまり思想や文学、あるいは芸術に属するものがそれであるわけです。私たちは、そうした局面の一つの終わりにいるのではないか。それはつまり、たんにこれまで絶えず繰り返されてきた人類の再生の一つの段階を示す新しい出発、新しい飛躍のしるしにすぎないのではないか、という考え方です。
2  全般的に、現代の私たちを揺さぶっている衝撃は、ローマ帝国を打ち倒し、古代に終幕をもたらした衝撃より重大なものであるわけがないというふうに反論されることがしばしばです。ところで、あの古代の終末は、すでにキリスト教中世の夜明けと混ざり合っており、キリスト教中世は、古代の輝きをあるがままに知っていました。そのうえにこんどは自らが、人類の歴史とその遺産にそれだけ豊かなものを築き上げたのです。ここから、人びとは、こうした転換の局面は不安の重みをたたえているが、それは結局、人類に周期的な再生をもたらす永遠のリズムを刻むためにほかならない、と結論しているのでしょう。
 人びとは、そうであってほしいと願っているのでしょう。しかし、この類推的思考は、あまりにも皮相的です。大事なことは、現在の危機があらわしているものを歴史全体の中に位置づけることです。そうしたときに初めて、私たちは、その真実の規模の大きさと、そして同時に、そのほんとうの起源に気づくでしょう。

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