Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

現実との離反  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
1  現実との離反
 ユイグ しかし、注意ぶかく分析すれば、また別の特質を明らかにできるでしょう。二十世紀になって、芸術が現実を再生することや反映することをさえしだいにやめてしまったという事実、芸術が現実に関してへだたりと一種の敵意をさえ示すようになった事実は、人間と自然とのあいだの断絶と離反のしるしです。この人間と自然とは、農業社会では調和しあっていたものなのです。
 逆に、現代の芸術家は全面的に主観的あるいは知的な、ひどく気ままな世界の中に逃げ込んでおります。とりわけ幾何学的な構図で描かれる抽象絵画の何十年かにわたる勝利は、このことを物語ってあまりあります。こうした抽象画の合理的に考えられた構造と、含みのある変化に富んだ様相ぐらい、私たちを取り巻く現実とまったく反対のものはありません。ここでもまた、現代人が理知的能力に過度に頼り、しかも、ますます偏狭になっている様子がうかがえます。モンドリアンやその無数の追随者たちは、こうした行き方の典型なのです。
2  もう一つ、現実のものと相容れないこうした行き方を、それとは反対の様相であらわしているのが、トビー、ポロック(ともにアメリカの画家)、さらにデュビュッフェ(フランスの画家・彫刻家)などの絵や作品です。これらは、もはや構造をさえもたないもので、事物の要素をバラバラにする一種の切断からとりかかります。この兆候は、すでに立体派にもみられたものです。
 たしかに立体派は、現実のものとの対応を完全には拒みはしませんでしたが、その物質的構成にはもはや一致していない一つのイメージを初めてあてはめたのです。対象は、芸術家の介入によって、勝手気ままな断片に切断されたわけです。
3  ここでは、人びとは、ちょうど噴出か爆発かがあったあとのように、形がこなごなに壊れた状態、あるいは図面が散りぢりになった姿を目撃するわけです。同様に、アルマン(フランス出身のアメリカの画家・彫刻家)は、前から存在し、しかも役に立たない物体をたんに集めることからとりかかります。
 そのほかにも、いくつかの作品に見いだされる空虚さの強迫観念のようなものや、あるいは、抽象的な作品でも具象的な作品でも出合う、障害物の強迫観念等も特徴としてあげることができるでしょう。これらの特徴は、精神病理学で精神分裂状態と呼ばれるものから生じますが、これは明らかに画家の問題ではありません。

1
1