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幸福感から苦悩へ  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  幸福感から苦悩へ
 ユイグ 現代の最も顕著な特徴の一つは、まちがいなく、“不安”という点です。評論家は、文字通りそれを主題にしている作家についてばかりでなく、芸術家についてもそれを、しばしば明らかにしてきました。
 あなたも指摘されているように、十九世紀の幸福感の絶頂にあったときに、芸術がそれを予告する兆候を示していたということは、まったく注目すべきことでさえあります。この幸福感は十九世紀の終わりまで、印象派の画家たちとともにつづきます。――いや、さらにそれ以後までつづいており、たとえばモネは、一九二六年の死にいたるまで描いていました。“科学の世紀”の楽観主義に忠実な彼らは、科学的実証主義に自らの基盤をおこうとしました。芸術においてそれに対応するものが写実主義であり、物質世界の観察であったわけです。彼らは、自分たちの貢献するところは光学の新しい法則にしたがって事物の姿を完璧に再現することに限られると考えていました。彼らは、より偉大な科学的正確さを自負していたのです。
2  しかし、さらに印象派が表現しているものはなんでしょうか? それは生の幸福の擁護です。自然は、そのころは、まだ都市のすぐ間近にありました。印象画家たちはパリに住んでいました。彼らはこの首都の城門のところで田園にまじわり、ボート遊びに興じ、楽しい田舎で田園の喜びを見いだすことができたのです。
 彼らがそうして称賛したのが、グルヌイエール(パリ近郊の地名)のような土地であり、ルノアールとか、モネ、シスレー(いずれもフランスの印象派の画家)のような画家たちは、光の中で繰り広げられるそうした生活を謳歌したのです。ルノアールはそこに肉体の悦びをさえ付け加え、ピクニックとか静物の場合は食卓の喜びを付け加えます。そこでは絵は生の幸福の弁明であり、ボナールやデュフィ(ともにフランスの画家)は二十世紀半ばにいたるまで、この流れを忠実に受け継いでいるのです。
3  しかし、他の芸術家たちは、この流れの外にとどまっていました。彼らは、ロマン主義以来、ただ物質的で物理的なだけの文明の有効性ということについて、先ぶれとなる不安を表現していたのです。彼らは、反写実主義の自分たちの立場を、ますます明らかにしていきました。この反動は、ロマン主義によって下準備されていたわけですが、印象派の全盛期の最中に、象徴派とともに強まったのです。
 彼らは内的生命とその神秘に目を向け、印象派が賞揚した、目にみえる世界がもたらす物質的よろこびというものから遠ざかっていきました。ギュスターヴ・モローやオディロン・ルドン(ともにフランスの画家)といった人は、重要なものは人びとの目に見えるものでなく、不可視のものであると主張しました。
 こうして、十九世紀の盲目的な楽観主義に対し、一つの退却が始まり、不幸と苦悩の芸術への道が準備されていたのです。現代は幸福への熱望を表現することを放棄してしまったので、印象主義は、この幸福感の夢を表現した最後の人びととなったのです。

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