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日蓮大聖人・池田大作

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空間における混乱  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  空間における混乱
 ユイグ まず空間の中で私たちが直面しているものはなんでしょうか。人間が空間とのあいだに保っている、遠い昔からの関係は、今日では、根底から乱されています。都市文明の排他的ともいえる発展は、目もくらむような人口の激増と結びついて、絶えまなく強まるその新しい特質によって、人間を窒息させ、その正常な発展の場を奪い去っています。一つの新しい病が襲っているのです。人間は、その尺度の感覚を失っています。
 いま話したこの人口の増加と、都市への人間の集中のために、個人は自分がその一員である集団との正常な平衡感覚を失い、代わって、新しい概念が占めるにいたっています。それが“大衆マス”の概念です。この集団化は、悲劇的な結果を生ずる恐れがあります。
2  生命は、尺度に合わないものをつねに除去してきました。このことは、歴史以前の昔からみられるところで、ディノサウルス(中生代の恐竜)が姿を消したのは、身体の大きさと神経衝動の速さとの釣り合いがとれなくなったため当然のことだったのです。また、あまりにもひしめきあっている生物集団は攻撃性をもつようになります。このことはネズミの実験で、よく知られています。人間の歴史のうえにも、同じような例があります。たとえば、イースター島がそれで、この太平洋の孤島は過剰な人口を擁していたのです。歴史記述がないので、なにが起こったかはわかりませんが、ともかく、その住民が、突然、なにかの破局によって、ほんのわずかの一グループに激減したのです。そこに、生命の平衡を正す自動的な働きがあって、恐るべき力をもって作用したのです。この力は、私たちの思考や理性よりつねに優位を占めています。
3  “大衆社会”が個としての人間を押しつぶさないためには、これら二つの間の転移を大事にすることが不可欠です。人びとが過去のことを考慮しなくなったときに、過去についての概念をすべて破壊することは簡単です。家族が存在し、その家族をこえて第二の輪の中に種々の人間の集団があり、つぎに都市、つぎに国があるのは、人間が微小な個人と地球的な集合体とのあいだの媒介をするものを必要とするからなのです。
 こうした生物学的な段階に対応するものが、都市計画の中でも見いだされなければなりません。都市の中の地区という概念がその一つです。ノイローゼと自殺で知られていた都市の低所得者住宅のあるブロックで行われた調査によると、その住民を私的な発議による小グループに分け、それをグループ推進者によって結合するというやり方を勧めたところ、ノイローゼや自殺の脅威を追放するまでになったということです。人間を不釣り合いの集団にすることがいかに間違っており、その責任はどこにあるかがこうして証明されているのです。

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