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日蓮大聖人・池田大作

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序文  池田大作  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
1  序文  池田大作
 人類が現在直面している危機は、外からきているものではない。比喩的にいえば、われわれの住んでいるこの家が、地平線の彼方から向かってくる竜巻にねらわれているのではない。そうではなく、家の中に生活している人間同士が互いに利益をむさぼり、調度品を奪い合い、天井板をはぎとり、床板をはがし、柱を削りとって、まさにこの家を倒壊させようとしているのである。
 そればかりではない。利害の対立や感情のもつれから、互いに憎み合い、相手を殺戮するための武器を工夫し、その幾人かは家そのものを吹き飛ばしてしまうほどの破壊力をもった武器を保有している。狭く、脆いこの建物の中で、強力な爆弾を抱えて威嚇しあっているありさまは、狂気の沙汰という以外にない。
 現代文明の危機を形成している環境破壊、資源の枯渇、戦争の脅威等の実態は、端的にいえば、このようなものであると私は考える。
2  こうした事態を改善するためになにが必要かは明白である。この家の外は、荒漠たる死の世界であるから、逃げ出そうとしても無意味であろう。この家の中で仲良く幸せに生きていくために、一人ひとりが、考え方と生き方を根本的に変える以外にないのである。
 互いに利益をむさぼるのでなく、この家をより住みやすく、安全にしていくよう、自らの労力を提供しなければならない。互いに憎み合うのではなく、愛し合い、守り合い、助け合っていくことである。
 この人間の考え方と生き方の転換のために宗教はなにができるか、が私の主たる関心事である。
 キリスト教やイスラム教は、その初期の精神的いぶきによって、利害の対立に明け暮れる諸民族を、一つの共同体にまとめあげた。細部においては紛争は絶えなかったにせよ、大局的には、強い精神的絆で結合された共存の世界を実現したのである。
 とはいえ、自らの信奉する神を唯一絶対とする考え方は、他の神を仰ぐ人びとに対しては非寛容さを増したし、時代の進展とともに神学が煩雑化するにつれて、異端論争が激化し、これは血を血で洗う抗争を招いた。
3  もちろん、キリスト教やイスラム教が血なまぐさい争いの因になっていたときにも、その本来の愛の精神を忘れず、神の愛による平和を叫んだ人びとがいたことを私は知っている。
 一方、私の信奉する仏教は、万物に対する慈悲を教え、他の信仰をしている人に対しても寛容であるべきことを教えるし、熱心な仏教信仰者の治世は、平和によって特徴づけられる。しかし、すべての仏教者が平和主義者であったのではないことも事実であり、仏教の寺が僧兵を養って、権力者にとって重大な脅威となった時代もあるし、殺生を禁ずる仏教国の東南アジアの国ぐにで、残虐な殺し合いが演じられていることも否定できない。

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