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オカルティズムについて  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  オカルティズムについて
 池田 オカルト(神秘)現象に対する恐れは、いつの時代にもあったと思いますが、近年、映画界がこれを取り上げることによって、急に広まりました。
 私は、この種の映画が大衆の関心を集めたのは、一つには好奇心ということもありましょうが、より根本的には、合理主義的風潮が支配している現状にあって、理性では割り切れない超合理の世界が存在することに、畏怖とともに、一種の解放感を見出そうとする、人間の深層心理の表れであろうと考えます。
 人間の深層心理の世界は、それ自体が超合理的なもので、オカルト現象といわれるものは、そうした人間心理の投影に他ならないのではないでしょうか。
 同様のオカルト現象は、日本でも古くから言い伝えられていますし、オカルト的儀式は現に行われてもいます。しかし、欧米の映画等で描かれているのとは異なり、他人に危害を加えることはありません。気味悪がられはしますが、それほど恐ろしがられはしません。少なくとも現象的には、どちらかといえば平和的なものです。
 ところが、欧米の映画に登場するものは、恐るべき能力によって人々を殺し、世界を征服しようとします。気味悪いというよりも、恐ろしい存在であり、きわめて暴力的でさえあります。私は、この背後には、世界の支配者としての「神」という概念があると思うのです。すなわち、その「神」の対極としての「悪魔」が、「神」に対抗し世界支配を企む存在として考えられているのではないでしょうか。
2  日本の場合は、生命を支配しているのは因果の法であると考えられていますから、何も悪いことをしていない人が被害を蒙ることはありません。ごく稀に、オカルト的な異形の霊が、たとえば若者に恋をし、その世界に引きずり込もうとしたといった昔話もありますが、全体的には、悪事を犯していないかぎり、何も恐れる心配はないのです。
 このように、オカルト現象としていわれていることも、結局は、宗教観の裏返しになった深層心理の反映であり、だからこそ、こうした違いが出てくるといえると思いますが、教授はどうお考えになりますか。また、オカルト現象に心を惹かれる現代社会の状況について、どのように思っておられるでしょうか。
3  ウィルソン ゾロアスター教(注1)に最も強烈に表れ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にも認められる強い二元論の伝統が、悪を恐ろしい、怪奇な形に描くことの原因となっていることは疑いありません。ヒンズー教にも悪意をもつ神々が含まれていますが、中東や西洋の諸宗教における善と悪の力の対立概念には、もっとずっと鋭いものがあります。
 人々の心が、救済の観念、特に死後の至福の生命の保証ということに囚われていた間は、悪の力はほとんど全面的に、厭うべき力を振るうものと考えられていました。また、“悪魔”とその軍勢を、強信なキリスト教徒にとってすら何となく魅了されるものにしたことでは、教会自体も、その責任の一端を負わなければなりません。教会は、悪魔に取り憑かれているというかどで、あるいは悪魔に与しているというかどで人々を咎めてきましたし、ヨーロッパの俗説でお馴染みのテーマにも、魔術の力を得る代償として、自分の魂を悪魔に売り渡す人間を扱ったものがあります。そのような選択が存在するという概念自体は、一方で人々を不快にさせるとともに、他方では、ときとして人々を魅了していたのです。

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