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死と意識  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  死と意識
 池田 死と死後のことについて語ってきたのは、従来は、主として各種の宗教と一部の超能力者等でした。ところが最近は、医師や心理学者たちがニア・デス(近似死)体験に注目し、これに科学的思考の光を当て始めています。
 たとえば、医師レイモンド・A・ムーディ(注1)は、死に接近して帰ってきた人々の体験を百五十例集めて共通の要素を抽出し、『かいまみた死後の世界(注2)』という書にまとめて世に問いました。また、ケネス・リング(注3)は、ムーディの研究に科学的批判を加え、統計学的に精査していますが、結果的にはムーディの挙げた共通要素を裏付けるものになっています。K・オーシス(注4)とE・ハラルドソン(注5)も、ニア・デス体験に注目していますが、彼らの研究はアメリカとインドの間の共通性を見出そうとしたところに特色があります。
 さらにM・ローリングズ(注6)は心臓医という独自の立場を利用して、死に接近した人々や死にゆく人々の証言を集めました。ムーディ等の研究では、死は安らかであるという体験が大多数であるのに対して、ローリングズは、平安な体験と地獄に堕ちたような苦悩の体験は、ほぼ同数に達するのではないかといっています。
 エリザベス・キューブラー・ロス女史も、人々は死にゆくとき、その究極で、“天国”とか“地獄”と表現できるような状態がやってくるのではないかと推測しています。
2  ところで、ムーディが抽出し、他の研究者もほぼ同意している共通要素は十項目を超えますが、その中で、死後の生命の存続を証明する鍵になると思われる特徴的体験は“肉体離脱体験”といえましょう。
 心霊研究協会評議員のロザリンド・ヘイウッド(注7)も、いくつかの肉体離脱体験を報告しています。それによると、ある医師の場合は、死を目前にして、意識が二つに分離し始めました。彼は自分で、それをかりにA意識とB意識と名付けていますが、自我はA意識に所属し、肉体はB意識に所属しています。病気の進行にともなって、B意識はしだいに統合性が失われていくのですが、A意識のほうは、完全に肉体の外側にあるように思われ、その肉体を見ることができたというのです。
 ムーディや、キューブラー・ロス女史も、人間は死の瞬間に、自分の肉体から抜け出て、その肉体を外側から見ることができ、また種々の出来事を識別することもできると報告しております。
3  また、日本のある文学者は、古代の日本人は、現在の科学者や医師たちが注目しているこうした体験を誰でも味わうことができ、ごく当たり前に“死後の世界に行ってきた”と話し合っていたのではないかといっています。そして、そのような原体験が仏教の導入とともに高められ、日本人の死後観の基礎を形成してきたと推測しています。
 現在の科学者たちがニア・デス体験の科学的処理から抽出した死のモデルが、日本民族に根付いてきた仏教の死後観と重なる部分が少なくないことは、きわめて興味深い現象といえましょう。

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