Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

臓器移植について  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
1  臓器移植について
 池田 一時期、華やかな話題となった心臓移植は、死の判定基準や免疫反応等の問題のために新たな急展開はないようですが、腎臓移植等の、他の分野での移植技術や人工臓器の研究は、着実に進んでいるように思われます。人工心肺(注1)は、現実に、多くの外科手術を成功に導いていますし、人工腎臓も、多くの患者の生命を救っています。人工心臓や人工腎臓の研究も進み、しだいに精巧なものとなっていくことでしょう。
 ところで、このような人間改造の試みは、最後の人間の領域ともいえる、大脳の分野にまで及ぼうとしております。人工頭脳も、さらに進歩したものになると思われますし、究極的には、大脳の移植にまで挑戦がなされるのではないかと思われます。現在のところ、大脳移植については、技術的にもほとんど不可能ではないかと考えられています。しかし、医学の進歩は、おそらく、この最後の領域への挑戦を止めることはないと思われます。
 教授は、大脳領域にまで踏み込んできた人間改造の医学を、このまま進展させるべきであるとお考えですか。それとも、どこかの一線でストップをかけるべきであるとお考えでしょうか。
2  ウィルソン 過去の幾時代にもわたる人間観とは対照的に、現代人は大脳を、人間としての独自の存在の中心点とみなすようになってきていますが、この脳の一部が他人の脳によって置き換えることができるという見通しには、誰しも、いくぶんたじろいでいるのではないでしょうか。
 おそらく腎臓や心臓については、たんなる機能的なものにすぎないと考えているため、必要が生じれば、他人の器官を自分の器官に置き換えることもできるという考えを、かなり容易に受け入れられるかもしれません。しかし、大脳に対しては、誰しも、これと同様の態度をとるのをためらうのも、いまのところ当然のことと思われます。
 私はこのためらいは普遍的なものであると考えていますが、文化の違いによって、それにも強弱があるかもしれないと思います。――たとえば、個人主義が旺盛で顕著な西洋では比較的強く、宗教や伝統によって人々がよりたやすく自分の生活や感じ方を、社会全般の人々のそれに同化させられる東洋では比較的弱いというように――。
3  おそらくまた、現代人の多くは、大脳そのものが問題となる場合、他人の生きた組織を受け取ることによって、人格の独自性が根本的に影響される恐れがあると感じているのかもしれません。いったい誰が、未知の他人とそれほど深く融合してもよいと思うでしょうか。またその場合、その後は自分自身をどのような意識で見るようになるでしょうか。
 この種の手術が成功裡に行われた後で、本人の振る舞いや態度や気質に重大な変化が起こったとすれば、そこに生じる道義上の問題はいったいどのようなものでしょうか。もちろん、こうした推測は、まったくの筋違いかもしれません。そうした可能性については、医学の判定を待つしかありません。
 明らかなことは、情報が不正確であればあるほど、また問題の器官が大脳において、純粋に機能的で運動を統御する部分であることの確証が弱ければ弱いほど、本人は深い懸念を示すだろうということです。そうした懸念自体が、この種の手術の効果に影響を及ぼすことになるのではないでしょうか。

1
1