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宗教と新しい世界秩序
「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)
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宗教と新しい世界秩序
池田
教授は、現代ほどカルトが隆盛している時代は、歴史上かつてなかったと述べておられます。そして、「カルトは合理主義化というよりも神秘主義化を求めている」という教授の評価は、紀元二世紀の教養あるローマ市民が発言した言葉と同じです(ギボン著『ローマ帝国衰亡史』)。
人類は、終末に向かいつつあったローマ帝政期と同じように“衰亡”の瀬戸際にある――もしくはすでに滅亡の過程にある――文明の中に置かれていると感じておられるのかどうか、おたずねしたいと思います。もし西洋文明――特に西洋キリスト教文明――が、最後の苦悶のさなかにあるとするならば、これに代わるものとして、どのような種類の世界秩序が出現することを、推測あるいは希望しておられるのでしょうか。
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ウィルソン
最近の数十年間に、新宗教運動や擬似宗教運動が氾濫しているさまは、たしかに、これまで歴史上に見られたどんな宗教運動をも上回るものがあります。こうした運動の急激な増大は、一部には、国際間のコミュニケーションが容易になり、迅速化したことによるものですが、また一部には、西洋のキリスト教文化に歴然と見られる文化的な混乱と消耗の加速度的な進行に対応して生じた、精神的・文化的不確定性の表れでもあります。
こうした新しい運動の多くは、現代のきわめて合理化された世界での、日常生活の要求の中で成功を収めるための、もしくはそれらから逃避するための、新しい道を人々に提供しています。ところが、たとえ人生で成功するためのよりよい道を約束している新しい運動の場合も、通例、その約束にあたっては、神秘的と呼んでよいような、あるいは神秘的な思想に照らして正当化された、さまざまなテクニックを提唱しています。
新しい宗教のうち、最も際立って“科学的”な運動にも、また、学習や信仰体験の過程を慣習化しようとしている運動にも、超経験的な信条や独断的で不合理な要素への、何らかの根本的献身が含まれています。もちろん、これらは、あらゆる宗教的献身に、潜在的に含まれているものだといえるかもしれません。
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しかし、伝統的キリスト教文化に対してなされている蚕食が、新宗教運動から起こっているなどという考えは、私には毛頭ありません。これらの運動は、現代の病弊の原因ではなく、むしろそれに対する反応とみなされるべきなのです。
アメリカ合衆国における「エレクトロニック・チャーチ(注1)」や「モラル・マジョリティー(注2)」の出現や、イギリスに発生して、いわゆるキリスト教的価値観の侵蝕への根強い不安を表明している、発作的なキャンペーンなどにもかかわらず、際立ってキリスト教的な文化が復活することは、非常に見込みが薄いように思われます。これらの運動は短命であり、系統立った方針に欠けています。その支持者にはまとまりがなく、その動員力は短期的で不定期的であるにすぎません。彼らの関心は、社会的不満の表明には真剣であっても、当座の立場を防衛するための抵抗のジェスチャーの域を出ず、結局は、次々と、技術革新や享楽的な価値観の流れによって圧倒されていくのです。
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