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近代史とキリスト教  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  近代史とキリスト教
 池田 私は、すでに述べたように、ルネサンスも、根本的にはキリスト教の精華であったと考えますし、宗教改革、諸科学の発達、国家主義の発展も、すべてキリスト教的土壌から養分を吸い上げて生長した花であり、実であるといえると思います。
 もとよりこれらは、いずれも、ローマ教会を頂点とする教会主義、権威主義というものにとっては、それ自体、直接的に離反していく動きであったかもしれません。しかし、キリスト教の精神的な内容という意味では、離反どころか、むしろ、それを養分として摂り入れ、それを発現しようとしたものだったのではないでしょうか。
 とはいえ、結果的に、こうした各分野に生まれた成果がキリスト教の凋落を招いたことは認めなければなりません。それは、あたかも一本の木から生じた花が、やがて実を結び、それが熟しきって落ちていくのと似ています。その意味では、キリスト教は、その役目を果たして凋落したといえると思います。今後、キリスト教が、まだ花を咲かせ、実を稔らせるだけの生命力を保っているかどうか、私には分かりません。人間生命の真理を深く探究した内容をもっている宗教であるなら、いつの時代になろうと、人類のために豊かな果実を提供し続けることができるはずです。
 キリスト教が、今日、著しく凋落してきていることは教授も認めておられますが、その原因については、どのようにお考えになりますか。また、その生命力は、なお残っていると判断されますか。
2  ウィルソン キリスト教徒は、教皇インノケンティウス三世(注1)がローマ教会の最高権能(注2)(プレニチュード・ポテスタティス)の強化・拡大に成功したことを取り上げて、しばしば、十三世紀の初めが偉大な信仰の時代であったとみなしがちです。インノケンティウス三世は、世俗の君主たちに対して自らの意志を押し通しました。そして、彼らの道徳上の振る舞いの可否を裁定し、その世俗権力の行使に最終的な認定権をもつことが、教皇の義務であると考えました。
 しかし、この時代に、制度化した教会の権能を主張することに成功したからといって、それはそのまま信仰が統一され、遍在化したことを示す証拠とは、決していえません。その当時は、キリスト教自体の中にいくつもの異説がはびこっており、さらに、より広範囲の、根強い前キリスト教的な異教信仰が、ヨーロッパ全体で盛んに行われていました。事実、ヨーロッパのキリスト教化はその後、三世紀を経て、宗教改革がローマ教会の統合的権力を打破した時点ですら、一般大衆の宗教という水準からいえば、まだとても完全といえるようなものではなかったといってよいでしょう。
3  たしかに、宗教改革は、キリスト教信仰の精神のうちの、最も活力に満ちた諸要素を引き出しました。つまり、その最盛期において、ローマ教会の煩わしい位階制による権威主義に比べて、イエスの教えがいかに飾り気のないものであるかを浮き彫りにしたのです。キリスト教の、とりわけ聖職者に関する側面は、すべて、この信仰の創始者(イエス・キリスト)の死後に作り出されたものにすぎず、その多くは、使徒時代や使徒後時代の教会について知られている事柄にさえ、その起源を求めがたいのです。ローマ・カトリックの権威は、素朴な福音主義のキリスト教の基礎的原理に、後代になって付け加えられた付着物に依存していました。そして、ある面ではルター(注3)が、また彼と同時代の何人かがさらに強烈に論証しようとしたのは、まさにこのことだったのです。

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