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ルネサンスと宗教改革  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  ルネサンスと宗教改革
 池田 西洋の歴史において、ルネサンス(注1)は、キリスト教からの離反の一現象として見られがちですが、私はむしろ、キリスト教精神の西洋文明における肉化現象と見るべきではないかと思っています。
 すなわち、キリスト教が教会や聖者たちに独占されていた中世に対し、これを生きた人間のものと考え、その生きた人間の代表として、ギリシャ・ローマの英雄たちや、ときには神々を用いたわけです。その意味で、ダンテ(注2)が地獄と煉獄を回るのに、ローマの詩人ウェルギリウス(注3)(ヴァージル)を先導者として選んだのは、まことに象徴的であると思います。ウェルギリウスは、キリスト教徒ではありませんでしたが、キリスト教的な死後の世界観の案内役となっているのです。
 このような考え方は、キリスト教が教会と聖職者たちだけのものであるという、中世的な体制には反するものであったでしょう。しかし、信仰とは関係のない人間的な生活次元にも、その内実はキリスト教が反映しているのだという意識がなければ、そうした考え方は出てこないはずです。それは、裏返していえば、神に相対峙する悪魔もまた、特別なところに存在するものでなく、この現実の人間の内に入り込んでいるはずであるということになり、魔女裁判や(注4)異端審問といった悲しむべき偏見の横行にもなります。
 ともあれ、以上のような理由から、私は、ルネサンスとは、キリスト教からの離反ではなく、むしろキリスト教が西洋の人々の内に深く消化され、優れた文明の華として開いたものといえないかと考えておりますが、いかがでしょうか。
2  ウィルソン ルネサンスは、近代ヨーロッパの文化・社会の形成に影響を与えた、最初の、そしておそらくは最も重要な潮流でした。その輪郭をはっきりと示すことは、容易ではありません。現存の証拠といえば、そのほとんどが特定の知識階層の著作によるものであり、その多くは、いうまでもなく教会内部のものです。
 われわれは、「ルネサンス」という用語の中に、古典知識の再発見とその普及・拡散の過程とを、併せ含めて使っています。それらの知識の内容自体が、すでに多岐にわたっており、そこにはギリシャ思想の広大なヒューマニスティックな思考法、懐疑主義、エピキュロス派(注5)の哲学などはもとより、当時のあらゆる種類の神秘(オカルト)的・占星術的な考察も含まれています。これらの知識が、有神論にも、新たな芸術にも、科学の探究にも、刺激を与えたのです。
 幾人かのルネサンス作家に代表されるヒューマニスト(人文主義者)の思考の合理性を讃え、これを当時の支配的な影響力と考えるのは、たやすいことでしょう。しかし、われわれは、彼ら自身の記述から、多くのルネサンス知識人が、一方では古来の迷信を、他方では有神論とヒューマニズムの混淆を信じ、この両者の間で彼らの意識が深く分断されていたことを知っています。ただ、そのうちのヒューマニズムによって、彼らは中世キリスト教のドグマに疑いを抱くようになり、中世の教会の知的基盤の狭さに挑戦するようになったのでした。
3  秘術学(オカルティズム)や占星術も広く興隆しましたが、やがて知識人による古典哲学とキリスト教思想の新たな統合への探求と、より開かれた形の学問的探究が、最終的な凱歌をあげました。諸々の異教の残存物が、古代ギリシャ・ラテン語の原文のおかげでより身近なものとなり、そこから新たな勢いを得たにしても、最後に広まったのは、結局、懐疑主義・客観主義の精神でした。
 ルネサンス期を、キリスト教の中世的外観が取り返しのつかないほど砕かれた時代と見る人々がいるのは、おそらくこのことによるのです。といっても、別の面からいえば――おそらくあなたのコメントはこのことを念頭に置かれてのものと思いますが――ルネサンス期における強力な有神論的な方向性は、キリスト教がユダヤ教から相続した、全般的な世俗化の推進を続行したものでした。
 多くの教養人がまだ占星術をかじっており、霊や魔女の存在を信じていましたが、当時の人々にとって、それは当たり前のことだったのです。それが当時の支配的な意識のもち方であり、人々は、その範疇の中で考えを巡らしていた。ですから、新しい合理主義に初めて目覚めたからといって、何世紀にも及ぶ迷信が、直ちに捨て去られたわけではないのです。その後も長い間、人々は、さまざまに異なる事柄、そしてつじつまの合わない事物さえも、信じ続けたのです。

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