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インスピレーションと組織  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
1  インスピレーションと組織
 池田 教授は、新宗教には、次のような特徴があると指摘されています。すなわち、特別な、神秘的な知識に通じていること、自己に内在する諸力の発露による救済、聖なる地域共同体の構成員によって達成される救済があることです。
 この点から、日本における新宗教のいくつかを考えてみますと、いずれもその創始者は、これらの特徴を具えていたか、具えていると宣伝していました。しかし、現在は、いずれも、二代目、三代目になり、現在の教団指導者は、組織管理の能力と、大衆の心に強く訴えゆく力が、求められるようになっていると見られます。
 新宗教が、世代を重ねていったときにたどる推移について、どのようにお考えになりますか。
2  ウィルソン 宗教は、その発展のさまざまな段階で、伝えるべき教えのうちのどの面を強調するかが、必ず異なってきます。ときには、教えの内容そのものが、実際に変化の過程をたどることもあります。しかし、いずれにしても、一つの運動にあって、初期の、信者群が形成され始めたころに最も顕著な形で現れた課題は、やがてその運動が一定の定着した信者層を獲得した暁に生じる課題とは、異なっています。
 初期の運動は、多くの場合、緊迫感がその特徴となります。人々の希望は高く、この運動こそが社会の性格を抜本的に変革するのだ、あるいはこの運動の出現自体が、そうした変革の間近いことを示す徴候である、という期待を抱きます。後になって、そうした期待が社会の現実に順応されるようになると、その信仰に属することの利益は、違った形で提示されるようになります。
 運動に一つの存在形態が出来上がると、やがて管理的な任務が重要性を増してきます。必要事項が周期的に現れ、週間・月間・季間・年間等の定期的な行事が、規則的な活動形態を構築するようになります。
 行事は、こうして慣例的になるわけですが、それが今度は信者を奮い立たせる機会として効果的に演出されるのです。草創期の、伸び伸びとしたところが消え失せ、予定された計画を持続的に遂行するため、職員や一般信徒の、規律正しい、規則的な献身が要求されます。強烈さ、熱情、過剰とさえいえる熱狂――草創期の特徴であったこうしたすべての要素――は、よほど注意深く抑制した形でないかぎり、もはや受け入れられません。いまや強調点は、組織的で、規準化・慣例化された仕事へと移行しているのです。
3  神秘的な知識を求めようとしても、それすらも、もはや霊感を帯びつつも衝動的なところのあった指導者たちの発言に頼ることがなくなり、規則正しい学習過程にますます頼るようになります。もちろん、信仰と主体的な献身は、救済のための必須条件として引き続き教義的にも確認されてはいますが、同時に、客観性を要する仕事、義務的な儀礼とか綱領、会員となるための(したがって恩寵を受けるための)正式な資格等が要求されるようになります。そして、やがてはこれらのことが、ときとして慣例的な、おざなり的なものになることさえ考えられます。
 宗教は、たぶん他のどんな社会制度にもまして、常に人員の減少や衰退の危険に曝されています。宗教活動が生み出す事柄は掴みどころのないものですから、宗教は独自の、客観的な判断基準を提示しなければなりません(これと対照的なのが、経済・司法・政治の諸活動であり、かなりそれに近いのが教育活動です。これらの活動は、客観的な生産物をもたらすからです)。このため、宗教が硬直化しないためには、新たな献身を行うことが周期的に必要になります。宗教には、装身具、器具、手続き、さらには宗教活動のリズムにいたるまで、すべてが神聖化される傾向があります。

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