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死刑廃止への賛否  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
1  死刑廃止への賛否
 池田 イギリスでは死刑制度は廃止されていると聞きますが、日本や他の多くの国では、まだ死刑が行われております。
 日本でも、死刑廃止か存続かを巡ってしばしば論議があり、死刑廃止論者は、その根拠として、人間が人間を裁き、その生命を奪う権利はないとするヒューマニズムを訴え、また死刑を廃止しても犯罪は増加しないといいます。一方、存続論者は、死刑には犯罪への抑止力があると主張します。
 教授は、死刑に対して、どのような意見を持っておられますか。
 私は生命は尊厳なものであって、誰びともこれを奪う権利はないとの信念から、死刑は廃止すべきであると考えています。尊厳なる生命を、生命以外のもののために手段化すべきではありません。
 もし、死刑に犯罪の抑止力があるというのであれば――私はこの意見に賛成できませんが――犯罪の抑止のためには、死刑以外の方法を講ずべきでしょう。
 また死刑には、殺されたことへの報復の思想や、他者への見せしめの思想があるように思います。私はこのような思想には、断固として反対します。
2  ウィルソン 現在の死刑賛成論の大半は、犯罪抑止力への期待に基づいているようです。しかし、そうした抑止力を実際に証明するとなると、これは評価が難しくなってきます。
 たしかに、激情から生じる犯罪は、刑罰の軽重に関係なく発生しているようです。これに対して、不法な利得を得ようとして犯される罪は、刑罰の軽重によって影響されるかもしれません。
 たとえば、強盗が、逮捕されたときに武器を持っていなければ罪が軽くなることを知っている、といった場合が、これにあたります。刑の軽重がもつ影響性という一点だけから、殺人の統計を判断することは、残念ながら困難です。しかし、押しなべてみれば、たとえ逮捕される可能性がさほどない場合であっても、逮捕されるかもしれないという心配のほうが、どんな刑罰よりも大きな抑止力になっていることは、疑いのないところです。
 報復的な処罰という考え方は、西欧諸国では、知的に受け入れられなくなってきています。西欧では、死刑の問題についての公の論議に参画している人々の大半は、洗練された感覚の持ち主で、彼らにとって報復という概念は魅力的でないことは確かであり、ときには理解しがたいものです。彼らは、現代文明はすでに懲罰の必要性をほぼ超越した段階に達していると信じたい気持ちをもっており、私もそれにはかなりの共感を覚えております。しかし、私は、一般大衆の間では、報復的処罰への要求がまだかなり強いのではないかと思います。したがって、私自身は、法的判決の適切な基礎として、復讐的動機を支持することはしませんが、こうした大衆の感情をまったく無視することもできないと思っています。
3  西欧諸国では、理論上は、民衆の意志が政治家によって実行されるという、民主主義体制が機能していますが、多くの問題があまりにも専門的すぎて、大衆の意志が正確に反映されにくいということがあります。
 しかし、死刑の問題の場合は、論点をかなり簡略化できますし、国民投票に付すことも容易でしょう。私は、民主主義の価値を主張する人々ならば、この種の問題について大衆の意見を考慮に入れる義務を、そう簡単に無視することはできないと思います。それは、たとえ彼らが、死刑の問題に対する態度について、大衆に再考を促す教育を推進しようとしたとしても、同じことでしょう。

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