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三世の生命観  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
1  三世の生命観
 池田 前項で述べましたように、仏教では、すべての人間も生き物も、この現在の人生の間だけ存在するのでなく、過去にも数多くの生を繰り返してきたし、未来にもまた、多くの生を繰り返していくであろうと教えます。しかし現代人の多くは、たんに過去の生を思い出すことができないという理由から、この考え方を迷信の所産であると思っています。
 聞くところによると、最近、欧米でも、催眠術の応用によって、過去の人生についての記憶を呼び覚ましたという事例が報告されているようです。また、先天的な能力によってか、過去の人生の記憶をもつ人の例は、古来、いくつかあったようです。
 教授は、こうした報告のもつ価値について、どのようにお考えになりますか。また、西洋においても、キリスト教以前は、仏教の教えるのと非常に似た、生命の連続の考え方があったと聞いておりますが、これについては、どうお考えでしょうか。
2  ウィルソン 輪廻の思想は、たしかに広く普及しています。東洋のみならず、西洋諸国の多くの人々の間でも、ときとしていくぶん面白がられながらも、魅力ある思想として広まっておりますし、また、比較的未開の民族における一つの思考の要素としても認められています。
 この思想そのものとは別に、たしかに見方によっては輪廻と関連づけたくなるような、数多くの奇妙な、解明されていない現象もあります。これらの現象は、西洋のきわめて思慮深い人々に、人目につかない直観力として生じているばかりでなく、たとえばドゴン族(注1)のような部族民の間での文化的現象としても発生しています。
 しかしながら、科学の立場からいえば、確かな証拠は、何一つありません。観察された説明不能な超常現象――しかもそれらは多くの異なる種類のものにわたっております――は、われわれが略して「超自然的なもの」と呼びうる事象についての、種々雑多な信仰を支持する証拠として整理するには、あまりにも不明瞭なのです。
 キリスト教の心霊術者(注2)は、“墓場の彼方”の“あの世”での生の確証を得ていると信じていますし、彼らが“確証”と考えたもののうち、かなり多くのものがまやかしや幻想であることが明らかにされているものの、いまだに説明できないものもたくさんあります。キリスト教の教会は、ローマ・カトリック教会でも英国国教会でも、ともに悪魔払い(注3)の儀式を継承していますし、西洋諸国では、ポルターガイストが(注4)活動したという事例も珍しくありません。
3  輪廻転生説は、これに比べると、さらに難解な概念です。なぜなら、転生した生命は、時間と、たぶん、空間という広がりの中に散在していなければならないからです。その生命は生まれてくるたびに、言語を含めて、新たな、そしておそらく普通はまったく異なる、社会の知識体系を学習する必要があるでしょう。どんな人も、そうした過去の学習の形跡をもって生まれてくる人はありませんから――しかも言語の問題は決定的です――その人の思考過程が、ある一生と次の一生の区切り目を越えることは、言葉のうえで不可能であると推測することができましょう。このように、人間は直接的な“過去世の思い出”はもっておりません。また一方、催眠術や夢や、デジャ・ヴュ(既視感)――出来事や特定の場所に関して、昔経験したことがあるように感じる説明不能な類似性――の経験などは、証拠としては評価し難いものです。
 厳密に科学的な立場では、私たちは開かれた心を保ち続けねばならない、と私は思います。他方、信仰者は、証拠など必要ないと考えるかもしれません。この二つの立場の間にあって、個人が過去にたくさんの生存を繰り返してきたかもしれない可能性を頭から否定する人は、厚かましい人だといえましょう。

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