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日本語版への序  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  日本語版への序
 この対談の成立にいたった経緯については序文に詳しく書かれている通りである。
 一九八四年秋に、イギリスのマクドナルド社から英語版が刊行されてから、ちょうど一年遅れて、日本語版出版の運びとなった。もとより、往復書簡による対談の進行中から、ウィルソン教授の原稿はそのつど日本語に訳され、それをもとに補足質問をしたり当方の立場を述べる発言を送ったりして、形を整えていったのであるが、文章を統一し、また訳語も正確を期すために、時間を要したのである。
 取り上げた問題が多岐にわたり、かつ、かなり専門的な分野に及んだこともあって、どうしても注釈をつけなければならないものも出てきた。そのいくつかについては、ウィルソン教授自身、快く引き受けて、執筆してくださった。オックスフォード大学での公務繁多のなか、この対談の完成のために最後まで並々ならぬ労力を注いでくださったウィルソン教授に、何よりもまず、心から御礼を申し上げたい。
 序文にもあるように、宗教社会学の学者であるウィルソン教授と、創価学会インタナショナル会長という現実の宗教団体指導者の私との対談は、それだけで、すでに異色のものかもしれない。なぜなら、社会学者としては、いかなる宗教・宗派に対しても客観的立場を貫くことが求められるから、この対談を行うこと自体、ウィルソン教授としては大変な勇気を必要とされたに違いないからである。
 私もまた、質問の提起や発言にあたっては、努めて客観的立場を保つよう努力したつもりである。ただ、その中で、人間社会において真実の宗教が持つ意義を明らかにし、現代文明が人間の尊厳性を見失わないためには、何が必要なのかを少しでも明確にしたいと心がけた。
 その意味で、本書は、すでに世に問うた、トインビー博士との対談、ルネ・ユイグ氏との対談、またペッチェイ博士との対談の延長線上にあるが、これまでの対談が歴史、美術、現代技術文明から迫ったものであったのに対し、宗教そのものを取り上げた点で、より一層、問題の核心に近づくことができたのではないかと思っている。
      池田大作   一九八五年初夏

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