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蒼い地球の運命への問い──不可知論と行…  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  蒼い地球の運命への問い──不可知論と行動 竹本忠雄
 “ポスト・アポロ”の私たちの時代──一九七〇年代は、ある奇妙な現実と夢想の混交によって織りなされている。ニーチェの戦慄的予言──「二十世紀は国家間戦争の時代となるであろう」──をふたたび想起せずにいられないような、ある種のスーパー・ナショナリズムの抬頭と、他面、汚染人口激発・饑餓などの危機的諸条件の認識によって大同団結をせまられた人類諸国家の、国際主義という以上に、もはや地球主義グローバリズムとしか呼びようのない包括的ヴィジョンの発想。人間性の《悪》にたいしては一片の変革を加えることについてさえ根本的無能を暴露しながら、その反面、遺伝決定因子の染色体の操作によって別生命の創造さえも不可能ならずと見るにいたった《進歩》の神話。そうかと思えば、死にたいする形而上学的問いの余燼が消え、かわってそれが“寿命の延長”と“安楽死”の問題に空中分解していくさまを見ながら、しかも、輪廻をふくむ《彼岸》の問題のいっさいにたいして、いまや懐疑主義というよりは不可知論の立場、つまり問題保留の立場を表明する地点にまでつれもどされた現代知識人の逡巡……。
 こうして、いっさいは、根底から問いなおしの必要をおびてきたのである。国連から仏教にいたるまで。しかも、最大の対極世界を代表するような人々の出会いをとおして。対極といえば先進国=途上国を意味する「南北」のパターンで考えるのが時流であろうけれど、ここでは、「東西」軸、ことに西欧と日本のそれであることが、すぐれて重要であろう。最大限に(東西文明の)《二カ国語性ビランギスム》を身につけ、現代文明の致死条件を病むニッポンにして、はじめて、皮肉なことながら、トータルな観点での対話者の資格を得るからである。しかもそこに永遠なる東洋の声を代弁しうる一人者たるの資格がそなわっていなければならぬこと、いうまでもない。同様に、この場合、対話の相手となる西欧がわの人物の資格は、いわゆる「東洋通」ないし「東洋学者」であるということだけでは不十分であろう。そのような二カ国語性ではなく、「死をまえにして生を考える」《普遍的言語イデイオマ・ウニベルサル》──ゴヤの言葉を借りるならば──の持ち主であることが根本第一義の条件とされるからである。
 一九七四年五月十八日、そのようにして、二人の選ばれた対話者が、たがいに相手を選んで、最初の会談の時をもったのであった。すなわち、フランス政府特派大使として来日したアンドレ・マルロー氏が、東京の創価学会本部に同会長・池田大作氏を訪ねたのである。池田会長が、はるばるフランスまで答礼の途につき、パリ南郊ヴェリエールの里に、逆に、隠栖の“行動作家”を訪うたのは、一年後の一九七五年五月十九日のことである。そのようにして、二人は、第二回目の対談の時を得たのであった。心の通い路は開かれた。そしてこの小径をとおして重なりあった東西の両半球は、かつてない風景を宙空に透かし見せていた。月の世界の兎ではなく、瀕死の人間像のレリーフを霞ませた、はるかな、「蒼い」地球のイメージである。
2  東西文明の対話による《普遍的人間》の追求というだけの主題であるならば、仏師ナーガセーナ=ミリンダ王の問答からタゴール=ロマン・ロランの出会いをへて、鈴木大拙=K・G・ユングの交流にいたるまで、歴史上、重要な証言はかならずしも稀少としない。その数は増えるいっぽうであろう。しかし、人間への問いが歴史的実践の意志と結びついた東西間の対話ともなると、これは本書をもって嚆矢とするのではなかろうか。「いかにすべきか?」は、ここでは歴史の地平において問われている。しかも「原爆戦は起こらないとはっきり断定できるのは三十年後のことまでであって、その後のことはわからない」(マルロー氏)というように、もっと端的にいえば、失われた地平線の手まえにおいて問われているのである。
 そこに、本対話において、不世出のこのフランス人天才ジエニーが、人間を語るときと行動を語るときとで語調に変化を来たす理由がひそんでいる。「あなたの眼からすれば人間にとってなにが一ばん重要ですか?」と池田会長に問うときのマルロー氏は、永遠なる東洋をまえにした質問者、古代ギリシアのあのミリンダ王の分身とも見えよう。しかし、《汚染》という「共通の敵」をもつことによって世界を結束させるべく創価学会がイニシアチヴをとるように、と薦めるときの氏の語調は、行動を提案すべく現れた人間のそれなのである。
 そして、この態度に、仏法の実践者にして史上まれな教団の組織者である池田大作氏にたいしてマルロー氏が寄せる、なみひととおりならぬ信頼が窺えるとともに、なぜこの出会いをもとうと彼が欲したか、その深い理由が隠されていると見なければなるまい。単に語るためにマルロー氏は来たのではなかったからである。
 注意しなければならぬ。歴史的行動をとるようにとマルロー氏はアドヴァイスしているのであって、政治的行動をとるようにと言っているのではないのである。「もう五十年もたてば政治家などというものはいなくなってしまうでしょう」との彼の一言は、ここにおいて雷の一撃を発する。創価学会会長・池田大作氏と公明党との関係は、マルローの眼からすれば、仏法の実践者・池田大作氏と歴史的世界との関係ほど重要ではないであろう。その理由は、アンドレ・マルロー氏が池田大作氏のうちに期待しているものは、ひっきょう──あるいは、おそらく──新しい形での《垂示者》「le Pr'edicateur」と呼ばれるべきものにほかならないからだ。
 対談の終わりごろで、前者が政治家消滅を語り、後者が「政治家にかわるべきものは民衆でしょう」と応ずるとき、マルロー氏の心中にあったものは、むしろこの垂示者といったことであろう。“塩への行軍”をなしとげたインドの《導師グールー》、また、西欧にあっては、ヴェズレーの丘より十字軍を送った一聖者のごとき。近くは、長征の毛沢東でさえも、マルローにとっては垂示者である。人類史には、《法(ないし真理)》が歴史とかかわりをもつ、めくるめく一点が存する。ほかの多くの人々が類型的に考えるように「宗教と科学との接点」という以上に、マルロー氏にとっては「真理と歴史との接点」のほうが緊要であり、そこにこそ、第三代創価学会会長にたいして氏が寄せる関心の中核があると見られるのである。
 このように突っこんでとらえずに、うわべだけで二人の話のやりとりを追っていくと、皮相な見かたに終わってしまう危険がじゅうぶんこの対話には蔵されている。たとえば、「禅と武士道」と語るマルローを貴族主義的ないし反平和主義的と臆測しうるように。また、軍縮会議のための話しあいの必要性について語る池田氏を理想主義的、「条約や協定は、けっきょくたいして重要でない」と答えるマルロー氏を現実主義的と判断しうるように。核全廃を主張する池田会長の言葉をマルローはかならずしも理想主義的とは聞かなかったであろう。なぜなら政治の立場から見てこそユートピックと見えるのであって、それはマルローの観点ではないからだ。「広島・長崎の日本が核全廃にむかって世界の先駆をきるのは歴史的使命」というように滔々と語る学会会長の言葉を、相手は、とくに首肯することなく傾聴するにとどまっている。フランスが核保有国だからではない。そのような《歴史的使命》を達成させるためにこそ、いかに垂示者が民衆を引っぱっていくことが必要でしょう──と、マルローとしては言いたかったことと思われる。
3  『沈黙の声』から『神々の変貌』にいたるマルローの美術論そのものが、いかにこの核心のまわりに思索の懸河を織りなしてきたことであろう。真理の立場よりすれば外観は虚飾にすぎないとの観点──いっさいの宗教の根底そのものであるこの礎石一個をはずしてしまえば、おそらくダ・ヴィンチ以後もっとも重要とみられるこれらの形而上学的反美学の全楼閣は崩壊してしまうであろう。ということは、とりもなおさず、マルローの美術論、いや、おそらく文学そのものが、がんらい宗教にあって美術にはない、ある本質的問いより発想されたものであり、ここからして周辺の誤解・無理解のいっさいは生まれてきたということである。近著『仏法・西と東』において池田氏は「衆生の内なる生命が本体であるにもかかわらず、外なる仏像が本体になるのは転倒」と述べているが(「美術として見る場合はまったく別」と断わりながら)、この見かたをマルロー氏は否定しないであろう。かつてパスカルの同様の見かたを否定しなかったとおなじように。宗教(というよりも信仰、そして信仰というよりも法)を選べば、“造型”は消える。だがもし、宗教を選ばないとなると?……
 真理の一語をめぐって両人の出会いを見るとき、したがって信仰者と非信仰者との出会いというふうにそれを見るならば軽率のそしりを免れないであろう。俗に、信ずる者は強し、という。では、「信じない」マルローは強くなかったであろうか? 祖父をも父をも自殺によって失ったマルローである。最近著『冥界の鏡』においては、レジスタンスの一指揮官として独軍の捕虜となり、明日の死刑を期して福音書を翻読しつつもなお「自分が《真理》から決定的に切り離されている」ことを再確認したマルローである。が、そのために、彼自身、自殺の道を選んだであろうか?

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