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日本美術の西欧への影響
「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)
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日本美術の西欧への影響
池田
東洋の美術にたいしてもひじょうに造詣が深く、幾多の著作もだされていることは、よく存じております。
昨年来日されたときも、「芸術における西欧と日本」というテーマで、加藤周一氏と対談されていらっしゃいましたね。昨年は「モナ・リザ」の特使としての訪日でしたが、十一年まえ、文化相として「ミロのヴィーナス」を日本で初公開してくださったとき、議会で演説された内容をうかがったことがあります。
マルロー
それは光栄です。
池田
たしか「文化とは、死のなかにおいてなお生命でありつづけるもの」というご発言であったと記憶しています。
マルロー芸術観の本質は、「死の超克」「永遠なるものへの接近」という主題にあるのではないかと思います。私もそこに共感を覚えます。「モナ・リザ」を見たとき、あの永遠の微笑を生んだルネッサンス時代の精神的豊かさと、それを絵画として結実したダ・ヴィンチ自身の、内なる生命の輝きともいうべき永遠性に心をうたれました。
とくに日本の美術と西欧の美術にたいしては、現在、どのようにお考えになっていらっしゃいますか。
マルロー
これは、話し始めれば長くなるのですが、いま考えていることはこういうことです。
まず、われわれの時代は、問いと直面しているのであって、答えに直面しているのではないということ。たとえば、《日本の空想美術館》なるものが考えられるし、これは疑いようもなく実在のものではあるけれども、しかしこれが固定したものとは考えられえない。つまり、いまから五十年もたてば、この日本の空想美術館にはひじょうに大きな変化が現れるであろうと思うのです。
その理由は、複製画の発達によって日本美術が世界中の画家の知識のうちにいまや繰りこまれつつあるからなのです。現代のさまざまの複製画と日本美術の複製画とを比較してみれば、日本美術とそれ以外の世界の美術との差は、あたかも白黒写真と色彩写真とのちがいほどのものだということが、のちになってだれにもよくわかることでしょう。
私は、いま『神々の変貌』の最終巻を執筆していますが、そこでは極東芸術の本質的ありかたについて重要な一章が加えられることになるでしょう。私は、そこで、表意文字的文明といった視点から出発しています。そこでは芸術はインドとはまったく結びつかず、また、西欧とも結びつきがたい。真の日本的天才は私にとっては表意文字と切りはなしがたいものである、といった見方を、そこで提起しているわけです。
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池田
それはユニークな視点ですね。
マルロー
さらに詳しく申しあげるなら、そこからして、西欧と日本では、そもそも絵画の観念そのものがちがっていたのです。
豊饒なるもののとらえかたをしようとするならば、主題から出発せずして意義のうえから出発しなければなりません。すなわち、西欧が日本美術についてなにごとかわかったと思ったときはどのようなときであったかといえば、それは、西欧の画家たちが日本の版画家の作品をまえにして、「なるほど日本の版画は、まったく異なる絵画の観念からできあがっている」ということに気づいたときだったということです。
たとえば、ヨーロッパの人間は、あらかじめ額縁といったものを想定しています。この縁のなかの空間を満たそう、と。ところがあなたがたの世界のほうは、この縁といったものを切りはなしてしまっていた。いわば、われわれのほうは、この縁のなかのものを提供しようとしたのであって、レオナルド(・ダ・ヴィンチ)はそれをやってのけた。そこからタブロー(絵画)というものが生まれるにいたったというわけです。
しかるに、あなたがたの世界は、この縁というものから自由になっていたのであって、この自由さがヨーロッパにはいってきたのが、まさに日本の版画をとおしてであった、といってよい。ヨーロッパには、そのときまで、そうした日本的例はまったく存在していなかったのです。
池田
まったく異質な視角の出会いだったわけですね。日本においても、西欧のものの考えかたから大きな衝撃をうけました。
マルロー
極東の重要な発明は、絵というものをけっして絵としてうけとらなかったところにある、といっても過言ではありますまい。注意しなければなりませんが、宗教時代におけるヨーロッパも、あなたがたの国とじつは同様であったので、ブロンズの彫刻家たちは、ブロンズ彫刻をつくっていると自分では思っていなかった。彼らは、ブロンズをつくっていると思っていたのです。そして、オブジェ(物)としての芸術が生まれたのは、十六世紀になってからであって、それ以前においては日本と同様であったということです。
絵画にたいするあなたがたの関係は、今日なお形而上的に本質的重要性をもった関係である、という点に変化はありません。私はこの本質的ということばを、ことばの原義において語ろうとしているのであって、それはどういうことかといえば、この本質なるものが、日本においては、詩をとおして、絵をとおして、音楽をとおして顕れてくるということです。要するに、本質のみがそこにあるということです。
これにひきかえ、西欧にあっては、ある時期から《本質》が姿を消してしまった。これは否定しようのない事実で、そこから、残ったものがオブジェであるということになったのです。この両者のへだたりは、絶対的に大なるものであると申さねばなりません。
西欧はつねにシンメトリック(左右対称)にとりつかれてきましたが、これは人間の身体がシンメトリックであるから当然のこととはいえ、自然であるとはいいきれません。あなたがたの文明というものは、このシンメトリーをじつは拒否しています。したがって、シンメトリーの芸術をまえにして、非シンメトリーの芸術があるというこのちがいは、もっとも深い相違点の一つとこそいわなければならないでしょう。構造そのものの、全体性のなかでの相違といってもいいくらいです。
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