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世界の平和と一国の平和  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  世界の平和と一国の平和
 池田 いま日本の進路について、私なりの考えをお話ししましたが、世界を見わたして、どの国が理想的な国家運営を行っていると考えていらっしゃいますか。
 マルロー 残念なことに一つもありません。現在、もっとも重要と思われる現象は、普遍的理想などというものが、もはやどこにも見当たらなくなってしまったということです。五十年まえなら、アメリカ人も、アメリカ合衆国こそ自分たちの理想にかなった国である、と胸を張ったことかもしれません。イギリス人なら大英帝国について同様のことをいったでしょう。そしてそういったことは、ある程度、ほかの国々の人間もそれを認め、普遍性をもった理想国といったイメージが、人々のあいだには通用していたのです。そんな時代がたしかにあった。
 ところが現在では、大英帝国はもはやなきにひとしく、合衆国はアメリカ人の理想よりますます遠くなりつつある。アメリカ人は、もはや自国を讃美することなどできません。むしろ否定的な、嘆きの声のみが聞かれることでしょう。このような現象は、今次大戦後、顕著になったことがらなのです。
 池田 なるほど……。私は平和というものが、かぎられた範囲内で、いわば部分的に達成されていたというようなことはあったとみます。たとえばアメリカにおけるモンロー主義のように、消極的な不干渉主義をとることによってもたらされた平和が、いちおうみられたというようなケースです。しかし、いま、ご指摘のように、大戦以後はとくに一国のみの平和というものはありえない。世界の平和があってはじめて、それぞれの国の平和も保障されるという状況に直面したわけですね。
 したがって今後、もし理想を求めるとすれば、世界の平和という共通項がまず求められなければならない。どこの国の民衆も、個人として、民衆としてのレベルではその大部分が平和を求めています。この民衆の平和意識を結実させていく以外にない、と私は考えています。これまでの人類の歴史は民衆を手段化してきた。多くの為政者は民衆を尊ぶとはいいながら、心のなかでは蔑視しているのが実情ですし、また民衆はつねに啓蒙の対象でしかなかったといえましょう。
 私は、民衆がもっている平和への願いをもっと大切にし、民衆みずからがその平和意識を開花させていくことが、これからもっとも要請されてくるのではないかとみます。
 つまり民衆一人ひとりがみずからの平和意識を主体的に高めていくための、触発の媒介が必要でしょう。日ごろ潜在しているそうした意識を顕在化し、不断にそれをかきたててゆくことによって、民衆総体としてのパーソナリティーとして形成されるまで高めていく。そのための努力を怠ってはならないと思います。
 このようにしてなしとげられた社会変革、それを基盤として達成された世界平和であれば、永遠の光をもってくるのではないかと思います。武力をもって制覇した歴史というものは、もはや完全に過去のものです。
 民衆がいったん目覚めた意識をもったならば、二度とそれを覆い隠すことはできない。一刻も早くそうする必要があるし、そうなれば、その火は絶えることがないでしょう。

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