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ソビエトの印象  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  ソビエトの印象
 池田 ふたたびお目にかかることができて、たいへんうれしく存じます。昨年(一九七四年)五月に日本においでになられたときに、初めてお会いしたわけですが、そのさいの対談は、私にとってひじょうに有意義なものでした。
 マルロー どういたしまして。私のほうこそお会いできたことをうれしく思っております。
 池田 今回は、この対談のあと、パリからモスクワへまいる予定になっています。昨年の九月に、モスクワ大学からの招待でソ連を訪問しましたので、二回目の訪ソになるわけです。今回の訪ソは、作家ショーロホフ氏の生誕七十周年記念式典のために、ソ連作家同盟から招待されたものです。
 私はべつに作家でもありませんし、ショーロホフ研究家でもありませんが、世界市民の一人として、仏法者の立場から、世界平和のためにできるかぎりのことをしたいと念願しております。前回の対談のさいにも申しあげましたが、世界の各国を回るのもそうした気持ちからのことで、べつに他意はありません。ソ連訪問も、人間の心と心をつなぐ対等性、相互性に貫かれた交流こそ必要であるとの考えからです。
 マルロー 池田先生の歴史的責任の重さはよく存じています。
 池田 光栄です。けっきょく、相互理解をもたらす鍵は、教育、文化の交流にこそ求められるべきだとの信念は、ますます強められました。
 マルロー あなたが観察されたソビエトの印象は……。
 池田 ソ連にかぎらず、私が各国を回ってまず第一に感じたことを率直に申しますと、どこの国でも民衆はただひたすら平和を熱望しているということです。いまだ真の恒久平和からはほど遠い、戦争と戦争の谷間に咲いた束の間の平和かもしれませんが、この平和を願う民衆の無言の声を、水かさをますように高めてゆくことが、遠い道程のようにみえても、もっともたしかな道でしょう。そう私は信じています。
 ソビエトの場合でも、前回の訪問のさいに私が眼のあたりにしたのは、戦争への憎悪を心の奥深くにしみこませている民衆の姿です。なによりもまず、この一点を凝視しあうことが大切ではないでしょうか。いささか単純なようですが、これが私の平和実践論の序章のようなものです。しかし、けっして机上の平和論ではありません。再度の訪ソにも、こうした平和への条件づくりのために、なんらかの貢献ができればという、それだけの気持ちしかありません。
 マルローさんのソビエト観は、簡潔にいえばどのようなものですか。マルクス主義にたいするご見解(訳註4)はいちおう承知しておりますが。
2  マルロー 国際政治においてソ連の首脳がもっているたいへん重要な政治的力を、まず考えなければならないでしょう。私がコスイギン氏に会ったのは、一九六六年でした。そのときの印象を申しあげれば、この政治責任者は、ヨーロッパ人が話しなれている政治家たち、たとえばフランスのジスカール・デスタン氏などとは、類似しているところがはなはだ少ない政治家のタイプであるということです。つまり、われわれの大統領や大臣とはまったく異なった生涯をおくってきたのですから……。
 たとえばコスイギン氏は、きわめて重要な立場で、広範囲の活動をしてきた人物ですが、スターリンの粛清にも無縁でした。
 さて、ソ連について私が考えていることについてですが、スターリンは私にかつてこう言明したことがあります。「私のいうことをよく憶えておいていただきたい。私が若かったころ、われわれは、自分たちの革命はヨーロッパの革命によって援けられ成就されるであろうと信じていた。しかしいまやわれわれは、ヨーロッパ革命のほうがロシアと赤軍によって援けられるであろうということを知っている。これがあなたにいうべき、いちばん重要なことだよ」と──。
 なるほどこれはスターリンのことばではあったが、しかし、いまではソ連首脳は、ヨーロッパの革命のために赤軍を使うなどということは考えてもいないでしょう。彼らの考えるところはひたすらロシアの発展の追求ということにほかならないと、私は思います。
 共産主義社会のための歴史的イデオロギーなるものは、かつてはたしかに存在していました。だが、それは現在では生きていません。ソ連があたかも世界の共産主義政治の証人であるかのようにふるまい始めたそのときから、失われてしまったのです。
 国際インターは、事実上、もはや存在してはいません。ロシアと中国の人民民主主義があるのみです。アメリカ人にしても、ある日、パリにアメリカ政府ができるなどとは、だれも思ってはいないでしょう。同様にロシアの人々も、フランスのソビエトによってつぎの覇権が握られるとは考えていないはずです。
3  池田 昨年、私がコスイギン首相と会談したときにも、ソ連はもはや侵略主義の道をとろうとはしていないということを聞きましたし、そのことばが真実であるとの印象を受けました。少なくとも私は、そう信じたいと思います。「二十一世紀は明るいとみてよいか」という私の問いに、「私もそれを望んでいる」と、しみじみとした口調で語り、核軍縮の懸案を解決することが急務であることを、さかんに強調していました。
 現在の世界情勢がデタント(緊張緩和)へ向かっていると信じるのは、あるいは理想主義的にすぎるという見方もあるでしょうが、ともかくこの究極の流れを見定めなければ、人類がいま起こすべき行動の第一歩も生まれないにちがいありません。
 ともかく、昨年、中国、ソ連をあいついで訪問したときに、そこで強く感じたことは、庶民が平和を愛し、平和を求めているという事実です。両国の首脳とも会見しましたが、率直にいって、人間的な親近感と信頼感をもつことができました。国家と国家が対立して争いをつづけているのは、歴史的な相克から生じた不信感がたがいに先入観となって、それがどうしてもさきに立ち、相互理解の妨げになっているからだといってよい。
 この不信の氷をとかすには、人間レベルでの交流──具体的には教育・学術をはじめとする文化交流、さらには過去の確執にとらわれることの少ない若い世代の交流の推進につくすことが、なによりも大切であろうと思っています。
 ところであなたは、これからの世界のリーダーシップをとるのはどの国だとお考えですか。

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