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日蓮大聖人・池田大作

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“月の仏教”と“太陽の仏教”  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  “月の仏教”と“太陽の仏教”
 マルロー さっそくですが、まず私からおうかがいしたいのは、創価学会の活動とは、どのようなものか、ということです。
 池田 結論していえば、仏法を生活のうえ、現実の社会のうえに脈動させ、平和と文化の価値創造のために、反映させていくということを目的にした活動といえるかと思います。
 マルロー そうしますと、たとえばこの画家の役割はどういうような?
 池田 創価学会のなかに芸術部という部があります。仏法の精神にもとづいて、芸術創造の分野を担う、芸術家の集団、グループといってよい。美術大学の学生であるこの画家もその一人で、まだ若いがユニークなタイプの芸術家で、私が将来の大成を期待している一人です。
 マルロー 創価学会という組織が、こういう芸術の分野にも関心をはらうというのは、具体的にはどういうことでしょうか? ヨーロッパの場合ですと、宗教団体が特定の画家に経済的な援助をあたえて、その宗教団体のための絵を描いてもらうというようなことをやっていますが……。
 池田 日本でも過去には多くあったようですが、私たちは、まったくそうしたことを考えてはいませんし、むしろそうした行き方には批判的です。大事なことは、仏法の理念と信仰の力をみずからの生命のなかに深化させ、逞しい自己の創造力の開花によって、その絵画、文化の向上に貢献していくということではないでしょうか。私自身も、けっしていわゆる宗教家などではありません。一個の社会人です。
 仏法は、あくまで一人ひとりの人間の原点になるものです。創価学会はそれぞれの道を切り開きゆく社会人の集団といってよい。中世の宗教のように、芸術作品を一宗一派の宣伝のために利用するような偏狭な考えは毛頭もっていません。すぐれた芸術の創造は、人類全体の遺産ですから……。そのためにすぐれた芸術家が育っていくことを念願し、それを目的としています。
 マルロー なるほど、よく分かります。しかしたとえば、かりに若い映画監督がいたとして、その創造的な活動が創価学会のために、なんらかの役割を果たすことができると、お考えですか?
 池田 それはできるでしょうね。しかし、映像的な宣伝のみでは、信仰の世界は皮相的なものになり、深い永続性ある救済はできない。ですから、そうした映像的な媒体によって仏法を宣伝する意図を私どもはもっていませんし、あまり重要視してもいません。要するに映画監督であれば、映画芸術という領域において、最高の創造力を発揮し、その分野にすぐれた金字塔を築くことが、むしろ大切であると考えています。
 マルロー ヨーロッパにも、映画監督はたくさんおりますが、その半分ぐらいは、ひじょうに左翼的な思想をもっている人々といえます。そうすると、ある程度、社会主義運動や、あるいは共産主義的な運動のPRにつながるような内容の映画をつくることになります。
 日本の映画監督のなかにも、仏教に関心をもち、または傾倒している人もいると思います。そうした思想的立場の監督が、多少、創価学会のためになるような内容をもった映画をつくるということも、ありうるのではないでしょうか?
 池田 その可能性はあります。しかし、それは個人の自由意思の問題です。創価学会は、また私は、けっして自分の宣伝・拡張のために利用するつもりはありません。またその仏法に力があれば利用する必要もないでしょう。
 マルロー たとえば、創価学会のメンバーやあるいは創価学会に共鳴している監督がいて、べつにだれかから強制されるというのではなく、自発的に、なにかひじょうに精神的な内容の、つまり高度な映画をつくるようになることはあるでしょうね?
 池田 それはありますね。昨年、私が書きつづけている小説『人間革命』を、日本のすぐれた脚本家、監督が映画化しました。数百万人が観ているそうです。だが、私は原作者として映画化を承諾しただけで、あとはいっさいおまかせしました。結果的には、宣伝したといわれるかもしれませんが……。(笑い)
 マルロー たとえば、日本の代表的な芸術作品のなかには、かなり禅をはじめ仏教に影響されている面がある……。
 池田 日本の芸術には、たしかに仏教の深い影響が認められます。しかし、恒久的な芸術的創造の源泉になっていくためには、仏法哲学の真髄が、その裏づけとして存在しなければならないのです。
 マルロー そういう仏教的な哲学、思想に感銘をうけた人が、たとえば芸術作品をつくったら、その芸術作品のなかに、たとえば禅的な、あるいは仏教的な内容のものが盛りこまれるということですね。
 池田 そうともいえますが、むしろ信仰による触発と、哲学の肉化が、芸術創造の本質だと思います。
 そのいままでつくられた芸術というものは別として、仏教にも“月の仏教”と“太陽の仏教”があります。それは「過去の仏教」と「未来の仏教」ともいっていいでしょう。禅は“月の仏教”にはいっている。日蓮大聖人の仏法は“太陽の仏教”です。ゆえに、そこから生まれてくる文化の評価もまた未来を展望したときにおのずから異なったものになるわけです。

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