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21世紀と東アジア文明 中国社会科学院記念講演

1992.19.14 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

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1  ニーメン ハオ(皆さま、こんにちは)。シェーシェー ニーメン ダ ヤウチン(お招きいただき、ありがとうございました)。本日、伝統と格式を誇る、ここ中国社会科学院におきまして、講演の機会を与えられたことは、私の最大の栄誉とするところであります。
 また、ただ今は権威ある「名誉研究教授」の称号を頂戴し、これ以上の光栄はありません。尊敬する胡縄こじょう院長はじめ、中国社会科学院の諸先生方、並びに、ご列席の皆さまに心より御礼申し上げます。(拍手)
2  さて、ただ今、胡院長からもお話がありましたが、二十一世紀を間近に臨み、世界の情勢は、ますます流動性を強めつつあります。
 かつて、貴国の周恩来総理は「天下大動乱」の相を予測されましたが、その言葉どおり、米ソの対立を軸とした世界秩序崩壊後の情勢は刻々と揺れ動き、一刻も目を離せません。そうしたなか、注目すべき現象は、中国や日本、韓・朝鮮半島、更には台湾、香港など、東アジア地域に、しばしばスポットが当てられているという事実であります。「儒教文化圏」「漢字文化圏」といった言葉が、我が国でもしきりに論議されております。
 確かに、その最大のきっかけは、経済的要因にあることは事実かもしれません。日本はもとより、NIES(ニーズ)と呼ばれる諸国の近年の経済成長は、刮目に値します。加えて中国の巨大な活力を考え合わせれば、幾つかの不安定要因を抱きながらも東アジア地域が、二十一世紀の世界における枢要なブロックを形成しゆくであろうことは、だれが見ても明らかであります。それと同時に、私が注目するのは「……文化圏」という言葉が示すように、人々の関心が単に経済次元にとどまらず、成長をもたらす文化的要因、領域にまで広がってきていることであります。
3  こうした傾向は、今まで先進諸国といわれてきた欧米の識者に、特に強いように思われます。いわゆる″ハード″な部分から″ソフト″な部分への、関心の移行もしくは深化といってよいでありましょう。
 ではその東アジア地域の文化、なかでもその水脈をなしている精神性を特徴づけているものは一体、何か。もとより、簡単にひと括りできるような性格のものではありませんが、あえて言えば、そこに「共生のエートス(道徳的気風)」ともいうべきものが、流れ通っているとはいえないでしょうか。
 比較的穏やかな気候・風土にあって、対立よりも調和、分裂よりも結合、″我″よりも″我々″を基調に、人間同士が、また人間と自然とが、共に生き、支え合いながら、共々に繁栄していこうという心的傾向であります。そして、その重要な水源の一つが儒教であることは論をまちません。とはいえ、私は「共生のエートス」という言葉で、儒教の伝統的徳目であった「三綱五常」(君主は臣下の綱、父は子の綱、夫は妻の綱、および仁・義・礼・智・信)などを想定しているのでは決してありません。
 それらの多くは、個人に先立つ共同体の重視という点で「共生」に通ずるが、反面、既存の位階秩序を固定化して、いたずらに社会を停滞させてきました。
 その歴史の手垢にまみれた封建主義イデオロギーが″五・四運動″以来、激しい批判のつぶてを浴びてきたことは周知の事実であります。そうした弊害をもたらした最大の要因は、やはり、漢代に董仲舒とうちゅうじょの献策によって、儒教が国教化されたことに求められるのではないでしょうか。

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