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日蓮大聖人・池田大作

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第17回「SGIの日」記念提言 希望と共生のルネサンスを

1992.1.26 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

前後
1  騒然たる湾岸危機をもって明け、ソ連邦の消滅と独立国家共同体の発足のなかに暮れた一九九一年は、確かに、史上稀にみる激動、激変の一年でありました。そこからは、「民主」の時代の足音を、確実に聞き取ることができます。しかし、そればかりではない。新時代の訪れを告げる心躍る音色もあると同時に、あらゆる秩序を破壊してしまいかねない、耳をつんざかんばかりの轟音も混じっております。激化する民族対立・紛争に象徴されるように、昨一年の″余震″は、どの程度の規模でどの程度続くのか予測もつかず、まかり間違うと、ここ数年の世界史の地殻変動さえ、一つの″初期微動″と化しかねない、途方もないカタストロフィー(破局)の″主要動″さえ懸念されている現状であります。
 世紀末のカオス(混沌)のなかから、来るべき世紀へ向け、どうコスモス(秩序)を創り出していくのか――そこに、現代を生きる私どもが、だれ一人として避けて通ることのできない、人類史的課題が横たわっているのであります。
2  啓蒙的合理主義に警鐘乱打
 さて、湾岸危機・戦争は、国連というものの存在を、その限界も含めてクローズアップさせましたが(J・K・ガルブレイス氏などは、湾岸戦争の主役は米国ではなく、国連であったと言っております)、何といっても突出していたのは、国際社会の横紙破りを平気でやってのける、一独裁者の野望でした。その意味では、歴史の構造的要因というよりも″一過性″の性格を帯びていたといってよいと思います。
 それに比べて、ソ連邦の消滅は、文字どおり世界史的現象以外の何ものでもなく、優に数世紀をやくする恒常的で、普遍的な意義をはらんでおります。それは、ヨーロッパ主導型の近代文明を特徴ずけてきたある種の傾向性に、はっきりとピリオドを打った事件であったからであります。その傾向性の骨格を成しているのは、一言にして言えば、十八世紀以来の啓蒙的合理主義と呼ばれるものであり、それは、ある法則にのっとった歴史の進歩・発展の理論を奉ずる歴史主義や理想主義、あるいは、歴史の駆動力としての革命、しばしば暴力をともなう革命を必然とする政治的急進主義といった形をとっていました。ソ連邦の消滅(ロシア革命の終焉)は、そうした合理的で、進歩的で、楽観的なものの考え方に″弔鐘″(マルクスが資本主義の必然的敗北を指したこの言葉は、皮肉にも、ブーメランのようにマルクス主義の上にはね返ってきました)とまではいかないまでも、重大な″警鐘″を乱打しているのであります。
3  昨年八月の旧ソ連における保守派のクーデター失敗の直後、フランスの気鋭の歴史学者フランソフ・フューレ氏の語った″ロシア人が、フランス革命を終わらせた″との言葉は、その経緯を象徴的に示しております。すなわち、フランス革命をブルジョア革命、ロシア革命をプロレタリア革命と位置づけ、フランス革命の継承・発展としてのロシア革命という今まで支配的であった歴史観――マルクス・レーニン主義にのっとった階級闘争史観に立つならば、共産党の解散によるソ連邦の消滅は、その未完の母型であるフランス革命の意義の否定、より丁寧にいえば、階級闘争理論に基づくフランス革命観そのものの否定にまで通じていかざるを得ないでしょう。なぜなら、フランス革命からロシア革命への流れを″進歩″の一色で塗り上げ、そうした歴史の生々発展こそ「歴史的必然」と強弁されてきたのですから。F・フューレ氏は言います。「彼ら(=ロシア人)は一七八九年のフランス革命をやり直したいのです。(中略)彼らは、フランス革命の実例をたどるのではなく、その原則から再出発しようとしているので、ある意味でフランス革命を終了させたといえるのです」(「口シア人たちがフランス革命を終わらせた」、「朝日ジャーナル」’91・9・20号)と。「原則」とは、いうまでもなく「自由」「平等」「博愛」等の理念や「人権」概念などを指し、その「原則」はフランス革命からロシア革命を経ての「実例」の中で、何ら検証されていない、というわけです。

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