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日蓮大聖人・池田大作

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教育の目指すべき道――私の所感 全国教育者総会に寄せて

1984.8.25 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
1  教育問題は、目下の国民的課題となっております。非行、校内暴力、登校拒否、無気力症など、いわゆる問題行動を氷山の一角として、世上、教育荒廃が論議されない日は、一日としてないといっても過言ではありません。学校や家庭では、それぞれの立場から必死の取り組みがなされているようでありますが、総体的にみるならば、いまだ確たる処方箋は描かれていないのが実情でありましょう。荒廃の根は、それほど広く深い。
 私も青少年の健全なる成長を願う者の一人として、今日の状況を心から憂慮せずにはおれません。もとより私は、教育の専門家ではありませんし、様々に論議されている個々の教育方法なり制度上の諸改革の一つ一つに論及するつもりはありません。それらは、世界の動向と日本の内情をにらみ合わせながら、英知を結集して対処していくべき課題であります。ともかく拙速は避け、青少年をどう育成していくかが、日本の将来を決定づける生命線である、との強い決意をもって取り組んでいかなければならないと思います。
2  人間主導型の教育を
 ただ、一つだけ私の信念として申し上げておきたいことは、教育改革が、政治主導型で行われてはならない、ということであります。政治権力というものは、古来、教育に限らず、すべてを支配下におこうとする傾向性を持ちます。とりわけそれが顕著だったのが、明治五年に学制が施行されて以来の日本の近代教育であったと言えましょう。政治主導型のもとでは、国家目標が一切に優先します。″殖産興業″や″富国強兵″のスローガンが錦の御旗として掲げられ、教育は、それに奉仕すべきものとされてきました。欧米列強に伍するための近代化政策として、やむを得ない側面もあったでありましょうが、その過程で何が失われていったのかという点から、目をそらしてはならないと思います。
3  戦後の憲法や教育基本法のもとでの教育も、そうした弊害から逃れえたとは、とうてい言えません。
 概括的に言えば、戦後の民主主義教育においても、支配的であったのは政治主導型の流れであったといってよい。国家目標が、戦前戦中の「軍事大国」から「経済大国」にすげ替えられただけであり、教育はここでも、それに奉仕するものとして位置づけられてきたといっても過言ではありません。従って、国家目標が崩れ去れば、教育目標も宙に浮いてしまう。一九七〇年代から八〇年代を覆った教育荒廃の暗雲が、我が国の高度経済成長路線の挫折と軌を一にしているのも、偶然ではないように思えます。

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