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日蓮大聖人・池田大作

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東西文化交流の新しい道 モスクワ大学記念講演

1975.5.27 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
1  昨年九月、金の秋の時期にモスクワを訪れて以来八カ月、近しい、そして忘れ得ぬ友人との再会を指折待つような思いで、この大地を踏みじめることができました。
 人と人との忌憚ない、率直な意見の交換というものは、交流の歳月のいかんを問わず、体制の壁をも超えて、旧知の友の情を呼び覚ますものであります。
 あたかも、凍てついたシベリアの大地にも、春の訪れとともに若草が芽吹くように、忍従を余儀なくされた長き圧制に耐えて、人間解放の歴史の一ページを開いた民衆の、あの不屈の意志と力こそ、私には、ロシアの風土が育んだ、誇り高き特質であるように思えてなりません。こうした国民性が、今日のソ連邦を形成する独自の伝統的な民衆文化を開花せしめたといってよい。それは、ロシア文化の精華ともいうべき文学の世界に、象徴的にあらわれていると思うのであります。
2  ロシア文学の特色
 私達にとって、ロシア文学の特色は、どのような点にみられるのでしょうか。モスクワ大学の学生である皆さん方を前にして、分かり切ったことを言うと思われるかもしれませんが、海外の友人の率直な感想として聞いていただきたい。――私は、ロシア文学の最大の特色は、すべての民衆の幸福、解放、平和という理想に対して、文学は一体、何をなしうるのか、ということが、常にその目標として高く掲げられたという点に求められるのではないかと考えるのであります。
 文学というものは、一部特権階級の専有物では決してない。圧制下の飢餓と貧困に苦しみ、度重なる戦乱の犠牲を強いられる圧倒的多数の民衆――、彼らを無視して文学はあり得ない。ともすれば芸術至上主義的な、特定のジャンルに限定されがちであったヨーロッパ諸国の文学に対し、ロシア文学に、ほとんどといってよいほどみられる社会問題に対する強い関心というものは、実にこの民衆と苦楽をともにし、運命共同体として生きようとする真摯な求道心の反映にほかなりません。この求道心こそ、ロシア文学にあらわれる人間群像に、限りない深さを与えているのではないでしょうか。
3  私は終戦直後、ゴーリキーの『どん底』を読んだ時の鮮烈な感動を忘れることはできません。彼は、文字通り退廃とどん底の渦中にある登場人物、サーチンをして、次のように言わしめております。「″チェロヴェーク(人間)″なんと誇らしく響くことだろう」と。
 当時私は、敗戦後の荒廃した国土に、十七、八歳の多感な青春時代を迎えておりました。あらゆる価値観が崩壊してしまった。空腹を抱えつつ、友達同士で、焼け残ったわずかの書物を持ち寄って、明日への光を求めてむさぼるように読書にふけっていた私の心を、『どん底』のこの一節は、閃光にも似た感動で貫き、いまだに脳裏に焼き付いております。実に苦悩と荒廃の底からほとばしり出るような、この″チェロヴェーク″という全人間的な叫びこそ、ロシア文学の特色ある人間観を凝縮した表現ではないかと思われてなりません。のみならず、後に、ロシア革命の偉大な指導者レーニンが、ゴーリキーと極めて親しい間柄であったことを知るにつけ、この波乱の革命家への親近感も、一段と深まっていったのであります。
 言語を絶するあの圧制下で、忍従と苦渋を強いられながらも、なお希望を失わず、深くロシアの伝統と未来を信じつつ黙々と生きる民衆――ロシアの文学者達は、絶えずその点に光を当てて歩みました。私ども創価学会の社会運動の原点も、民衆であります。民衆に始まり、民衆に帰る――つまり民衆の自発的意志の結集をもって、平和へのエネルギーとしていく運動であります。したがってロシア文学が追究した最大のテーマが民衆の不屈の意志であったことに、私は大きな共鳴を覚えるのであります。

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