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日蓮大聖人・池田大作

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二十一世紀への提言 UCLA記念講演

1974.4.1 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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1  本日はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のヤング総長、またミラー副総長のご招待をいただき、アメリカの知性を代表するキャンパスで講演できることを、心の底から喜んでおります(拍手)。これからのアメリカを、否、二十一世紀の世界を担う皆さんへの満腟の期待と敬意を込めつつ、講師としてというよりも、むしろ、ともに未来を語り合う友人として話をさせていただきます。(大拍手)
 一昨年及び昨年の五月、イギリスの歴史学者であり哲学者でもあるトインビー博士の招待を受け、十日間にわたって真摯な討議をいたしました。私は人間対人間の中に、相互の触発があると信ずる一人である。ゆえに、対話を最も重んずるのであります。
 ご存じのとおり、トインビー博士は現代の誇る最高の知性の一人であり、人類の巨大な財産であります。八十五歳でありながら、なお、かくしゃくとして創造的な仕事を続けておられる。
 トインビー夫妻は、いつも六時に起床しておられるようであります。この時間は、諸君はまだ睡眠中かもしれないし(笑い)お手洗いにいって、もう一度寝床に入る時間かもしれない(笑い)。起きられるとすぐに、お二人でベッドを片づけ、朝の食事を作るそうであります。そして九時になると博士は、用事があってもなくても、ご自身の机に向かうそうであります。
 私はこの姿を拝見して、美しく老いたものだと思った。諸君のように、若さという美しさもあるが、老いた美しさには、尊さをはらんだ美しさがただよっているように思えてならない。さて、諸君も、お父さん、お母さんが、美しく老いていかれるよう、落第したり落胆させるようなことをしないよう、切望するものであります。(笑い、拍手)
2  トインビー博士との対話の際、座右の銘をうかがったことがあります。博士は「ラボレムス」というラテン語を挙げられた。「さあ、仕事を続けよう」という意味であります。
 ローマ帝国のセウェルス皇帝が西暦二一一年、イングランド北部の厳冬の地で、遠征の途にある時、重病に倒れて死期が迫った。しかし、指揮者として、仕事を続けた皇帝は、まさに死なんとするその日「さあ、仕事を続けよう」と、全軍にモットーを与えたのだとうかがいました。
 私は、博士が老いてますます若々しく、精力的に仕事が続けられる秘密を知った思いがしました。そして生涯″思想の苦闘″を続ける人間の究極の美しさを、そこにみたのであります。
 文明論、生命論、学問・教育論、文学・芸術論、自然科学論から国際問題、社会問題、人生論、女性論など幅広く話し合いました。二十一世紀の未来を展望しつつ、対話は果てしなく続き、延べ四十時間を超えるものとなった。私が日本に帰ってからも、書簡による討論は、幾度となく繰り返されたのであります。私が博士にお会いして、対談のあいさつをした時「さあ、やりましょう! 二十一世紀の人類のために、語り継ぎましょう」と、一瞬、厳しい表情となり、決意を込めた強い語調で言われた。自らの死のかなたにある未来の世界に強い関心を寄せ、若き私どもに、知性のメッセージを贈ろうとされる博士の心にうたれながら、私は対話を続けたのであります。本日、私は、博士に決して劣ることのない決意と誠意をもって、皆さんに語り継ぎたい。(大拍手)
3  ″中道″こそ第三の生命の道
 トインビー博士との対話の締めくくりとして、二十一世紀の人類への提言は何か、と問うた時、博士は「二十世紀において、人類はテクノロジーの力に酔いしれてきた。しかし、それは環境を毒し、人類の自滅を招くものである。人類は自己を見つめ、制御する知恵を獲得しなければならない。そのためには、極端な放縦と極端な禁欲を戒め、中道を歩まねばならない。それが、二十一世紀の人類の進むべき道だと思う」という意味のことを述べておられた。
 私も全く同感であり、特に「中道」という言葉にひかれた。というのは″東洋の心″を流れる大乗仏法は、中道主義を貫徹しているからであります。この言葉はアウフヘーベン(止揚)に近い言葉と考えていただきたい。すなわち、物質主義と精神主義を止揚する第二の「生命の道」のあることを、私は確信しております。
 現代文明の蹉跌さてつを矯正する方途として、具体的な方法論も論じ合いました。しかし、技術的な方法論は、それのみにとどまっては、根本的な解決をもたらさない。ここで、どうしても「人間とは何か」「生きるとはどういうことか」等々、もう一度原点に踏み込む必要を、ともどもに痛感したのでした。いきおい博士との対談は、人間論、生命論といった、根本的なものに重点がおかれていったのであります。

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