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第11回「SGIの日」記念提言 恒久平和へ対話の大道を

1986.1.26 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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1  第11回「SGIの日」にあたり、最近の私の所感の一端を述べて、SGIの新たな出発を期したいと思います。
 創価学会創立55周年にあたる昨年は、同時にSGI発足10年という幾重にも重要な節を刻んだ年でありました。この意義を踏まえ、昨年は世界青年平和文化祭を、ハワイと広島で開催いたしました。ともに総本山より日顕上人現下の御臨席を賜り、幸い大成功裏に終えることができました。この間の世界の同志の多大の尽力に対し、改めて深く敬意を表するものであります。
 思えば恩師戸田城聖先生が「原水爆禁止宣言」を発表し、それを青年に託したのが一九五七年でありました。以来二十八年、広島で第六回世界青年平和文化祭を盛大に開催できたことは、SCI発足十周年の見事な締めくくりをするとともに、恩師の遺命でもある核廃絶へ向けて世界のメンバーが心を一つに運動を進めていく大きな契機となったと思うのであります。
 私どものこれからの目標は、仏法を基調にして、世界の一大平和勢力としての確固たる基盤をそれぞれの国で作り上げることにあります。この機会に、妙法を根本にして全世界に恒久平和と安穏な社会を実現していくところに「立正安国」の元意があることを改めて確認しておきたい。私とともに、この遠大な目標へ向けて、次の十年への前進の歩みを勇敢に開始していただきたいことを心から願うものであります。
2  米ソ首脳会談に期待する
 ここ数年、私は米ソ最高首脳の会談が世界の平和のために不可欠なことを、機会あるごとに繰り返し主張してまいりました。一九八一年五月、三たびソ連を訪れた際、チーホノフ首相(当時)との会見では、ソ連首脳に対し「モスクワを離れてスイスなど良き地を選んで、アメリカ大統領と話し合いの場を徹底して開いてくれれば、どれほどが全人類は安堵するであろう」と呼び掛けました。
 その後、八三年の第八回「SGIの日」に寄せた提言、また昨年のSGI発足十周年記念提言でも、重ねて米ソ首脳会談の早期開催を要望いたしました。そこで双方が互いに知り合い、今、何を考え、何を最も望んでいるか誠心誠意、腹を割って意見を交換し合うことの重要性を指摘いたしました。世界の平和に大きな責任を持つ米ソの最高首脳が、まず万難を排して会うことから、緊迫した閉塞状況を打ち破る大胆な発想と行動も、勇気ある決断も生まれてくるというのが、私の変わらざる確信であるからであります。
 その意味で昨年、米ソ首脳会談が実現したことは、誠に歓迎すべきことと言わねばなりません。会談の実質的成果は今後の米ソの行動にまたねばなりませんが、何よりも米ソの直接的対話が世界全体にもたらした緊張緩和のムードを私は評価したい。会うということ自体が、世界全体に与えた明るい希望と平和環境を作ることを過小評価してはならないと思う。
 とりわけ、ここしばらく続いた米ソ間の厳しい対立は、″新冷戦″という指摘がなされたほどであった。核軍拡競争にしのぎを削った結果、核兵器が″使える兵器″へと小型化し、″核先制攻撃症候群″といった忌まわしい言葉が、しばしば口にされるようになりました。私自身も一九八一年八月のハワイでの第二回SGI総会の席上、そうした現代の核戦略の非人間性と危険性を厳しく指弾いたしました。
 こうした流れからいえば、昨年米ソ首脳が核戦争には勝利がないとの点で意見が一致し、核戦争であれ通常戦争であれ、米ソ間のいかなる戦争も戦ってはならず、軍事的優位を追求しない、との共同声明を発表した意義は大きい。私が一貫して米ソ首脳会談の必要性を主張してきた大きな理由も、米ソ首脳が人類的視野に立って、核戦争をはじめとした「不戦」の誓いを世界に改めて明言してほしい、また、首脳という責任ある立場であればあるほどそれが可能であると信じていたからにほかなりません。事実、会談は、世界平和に一筋の光明となり、今後に期待を寄せる人も少なくないのであります。
3  また、去る十五日には、ゴルバチョフ書記長が、今世紀末までに三段階方式で核兵器を全廃しようとの、新軍縮構想を発表。レーガン大統領もこれを評価するなど、核軍縮への注目すべき動きが出てきていることを、私どもは率直に歓迎したいと思います。
 アメリカの著名な平和運動家ハロルド・ウイレンズ氏は「専門家の意見なら大丈夫だという神話は、まさに神話でしかない。水爆をこしらえるためには科学的知識が必要だが、水爆の数が多くなり過ぎたと気づくためには、常識がありさえすればよいのである。そしてこの常識こそ、現在、最も必要とされているものなのだ」(向笠広次監訳)と述べております。
 この「常識」とは、人間としての良心や良識に置き換えることもできましょう。首脳という責任ある立場は、専門の行政官や科学者などに比べて、はるかにこの「常識」の見地に立ちやすいのであります。そして、その立場は、ごく普通の常識人、つまり民衆と回路を通じているのであります。こうした回路を無数に、縦横に掘り進んでいくところに、国家や国益の壁を超えた、グローバル(全地球的)な平和への潮流を流れ通わせていくことが可能となるでありましょう。
 冷たい風の吹き続けていた日ソ間にしても、ゴルバチョフ書記長の意を受けた今回のシェワルナゼ外相の来日は、平和条約締結への展望など、戦後の両国関係に大きな転換をもたらす可能性をうかがわせる、画期的な意義を刻んだのであります。

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