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日蓮大聖人・池田大作

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第9回「SGIの日」記念提言 「世界不戦」への広大なる流れを

1985.1.26 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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1  第九回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」にあたり、最近の私の所感の一端を述べておきたい。
 本年はSGIにとって極めて重要な節を刻み、未来への大いなる希望の前進が開始される年になるはずであります。世界の各国各地で日蓮大聖人の仏法を奉じ、平和と文化と教育の路線を着実に進めている我が同志の活躍が、一段と注目される年となりましょう。
 本年はこうした世界の友と日本のメンバーとの国境を超えた友好交流の輪が一層大きく広がり、有意義な成果が期待されます。私自身、世界の友の激励と、民衆の側から平和という人類共通の課題に挑戦していくため、全魂で庶民の中に飛び込み、新しいインタナショナルな平和のネットワークを広げていきたいと念願しております。
2  翻って目を世界に転じると、現状はますます混迷の度を深め、新たな国際秩序への展望は全くといってよいほど開けておりません。むしろ一触即発の危機を孕んで、従来にもまして不安定な様相を呈しております。
 秩序どころか、今、地球は新たな″核の不安定″時代を迎えております。もとより核軍拡というものが、不安と恐怖に支えられている限り、本質的に″安定″などということはありえず、″不安定″は、事の必然的な帰結であります。しかし、それにしても欧州中距離核戦力(INF)制限交渉の中断、戦略兵器削減交渉(START)の無期限休会は、世界の人々の核戦争に対する不安を、否応なく高めております。
 本年、米ソ間で何らかの合意がなされることなく、ヨーロッパを舞台に中距離核ミサイルの新たな配備競争が続くならば、核兵器をめぐる緊張は、一挙に強まっていくことは必定であります。有名な米国の科学誌の掲載する「世界終末の時計」(核戦争勃発を午前零時とし、それへの接近度を表示するもの)が、「三分前」を指し、米ソ両国が水爆実験を終えたあとの一九五三年末の「二分前」以来、最悪の危機を示しているのも当然でありましょう。その意味でも今年は、米ソの出方次第で、軍縮への血路を切り開けるか、一段と軍拡路線が強められるかの、重大な岐路の年となると思われます。
3  核戦争の恐怖をテーマにした米国のテレビ映画「ザ・デイ・アフター(その翌日)」は、一億人の米国人の目をくぎ付けにし、我が国でも大きな反響を呼びました。その一部は、ソ連の国営テレビでも放映されております。また本年初頭、ソ連の科学者は、米ソ全面核戦争が発生した場合、世界で十一億人が即死し、生き残った人々も極度に悲惨な状況におかれ、種としての存続さえ困難になるという分析結果を発表しました。
 それは、米国の科学誌記者ジョナサン・シェルの『地球の運命』が描き出すところと、重なり合っております。誠に核戦争の脅威を前にしては、イデオロギーの相違も体制の壁もないのであります。
 にもかかわらず、愚かな核軍拡競争が、一向にやもうとしないのはなぜか。言うまでもなく、古色蒼然とした″核抑止力信仰″が、いまだに生き残っているからであります。
 かつて、バートランド・ラッセルは、核兵器を絶対悪と位置づけました。私もそう思います。それは、単に核兵器の破壊力、殺傷力が巨大であるからばかりではない。その破壊力、殺傷力をたてにとった″核抑止力信仰″が、徹頭徹尾、人間への不信感に根差し、増幅させる役割を持つからであります。″核兵器への信″と″人間への信″とは氷炭相いれず、両者は反比例の関係にあるといってよい。
 先に、核の安定、バランス(均衡)などということは、本質的にありえないと述べたのも、その意味からであります。仏法では、生命主体と環境世界とが不可分に繋がり合っているという「依正不二論」を説きますが、その法理に照らしてみても、核兵器による脅しをかけられ、不安に揺れ動く心から、平和がもたらされるわけはないのであります。
 私はこれまでも、そうした角度からの指摘を、何回か行ってまいりました。その根底に横たわっているものが、近代の効率主義ともいうべき思考、世界観であります。ある識者は、そうした効率主義のスローガンを「できるだけ有効に、効率よく、便利に」と、端的に要約しておりました。効率主義のもたらした科学的、物質的成果をすべて否定することはできませんが、見逃してならないのは、そうした思考や世界観が、人間を″物″に還元しゆく避けがたい性向を持っているということであります。

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