Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

アジアの平和と発展のために 『創大アジア研究』特別寄稿

1980.3.0 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
1  アジアは今、激動の真っただ中にある。中東及び中央アジアまで含む広義のアジアの動向によって、今世紀最後の二十年の人類の運命が決定されるといっても、決して過言ではない。同じアジアの一員である日本は、今後ますますこの地域への関心を深めざるを得ないであろう。
 もとより私は、アジア研究については、全くの素人である。アジアの民の一人として、この地にひとかたならぬ関心を抱き続けていることは事実だが、学問的分野での専門的研究というには遠い。ただ、世界平和にとってアジア諸国の動向はキーポイントであるとの信念から、中国をはじめ、何回となく足を運んでいる。意図するところは、民間次元での教育、文化の交流の促進にあった。更には、アジア地域の平和と安定、発展を願って、民衆との対話を心掛けてきたつもりである。アジアの民衆の幸福のために、必要とあらば、各国の指導者とも忌憚なく話し合い、ともにアジアの将来を語り合ってきた。拙稿では、そうした諸経験をとおして痛感してきたアジア諸国の課題と思われるものの一端を、私なりに要約してみたい。
2  一口にアジアといっても、実に多様性に富んだ風土と国民性が、複雑に絡み合っている。ソ連がアジアに入るのかどうかという論議はおくとしても、東は朝鮮半島から日本、西はトルコやアラビア、南はインドネシアまで含む広大な領域である。明治以来の日本人が、ともすれば抱きがちであった「アジアは一つ」といった認識は、従来にもまして改められなければならない。
 私自身、これまで幾度かアジアの地を踏んでいるが、その人種も言語も宗教も、それこそ多種多様を極めている。その文化や生活も誠にバラエティーに富む。ある人は、ビルマとバングラデシュの国境に連なるアラカン山脈が、東洋的世界と非東洋的世界との分かれ目であると述べている。実際、アラカン以東と以西との風土の違いは大きい。ビルマから東には、マレー族を含め、主としてモンゴル系の黄色人種が多い。だが、アラカン以西には、インドのアッサム地方などを除くと皮膚の色こそ褐色だが、西欧的風貌のインド・アーリア系の人種が住みついているという。実際、私も昨年のインド訪問の際、ニューデリーからパトナ、カルカッタヘと足を延ばしたが、その風土と自然の移り変わりに、改めてインド亜大陸の広大さを思い知ったものである。アジアのもつ多様性に目を開かない限り、独断と錯誤は生んでも、真の理解は得られないであろう。
3  そのようなアジア諸地域の抱える課題を一括することは、これまた困難、かつ危険なことである。にもかかわらず、あえてそこに大枠を設けるとすれば、月並みな言い方になるが、やはり「伝統と近代化」の問題が、最大の課題になってくると思う。
 C・G・ユングに「近代精神治療学の諸問題」(一九二九年)と題する論文がある。津田元一郎氏の『アジアから視る』を読んでいて所在を教えられたものだが、手にとってみて、改めてユングの洞察の深さと視野の広々とした広がりに感銘を深くした。
 当時のヨーロッパといえば、シュペングラーの『西洋の没落』に象徴されるように、第一次大戦後の価値観の崩壊期にあった。ヨーロッパ文明を至上とする進歩の観念は、キリスト教国同士の殺戮という冷厳な事実によって足元を揺るがされていた。価値観の多元化、相対化の波である。特にフロイトの心理学は、ヨーロッパ文明のシンボルともいうべき理性のよって立つ土台を掘り崩した点において、決定的な影響力を及ぼした。「薔薇色の後光につつまれたものの本質をその影の部分から説きあかし、それによってそれらの事物を、ある程度まで、かなしむべき原初の汚穢おわいのなかにおし戻す」作業は、いやおうなく人々に、自らの価値観の相対化を迫る。
 しかしユングは、ともすればペシミズムに傾きがちな師・フロイトに踵を返して、時流を鋭く先取り、展望している。
 「……私は、フロイトの解明方法によって、われわれヨーロッパ人種がこれまでいだいてきた幻想や偏見が大打撃をうけたからといってそれをなげく気にはならない。むしろ私は、この打撃を、当然おこるべくしておこった、ほとんどはかり知れぬほどの意味をもつ歴史的な矯正として祝福したい。なぜなら、この矯正と時をおなじくして、哲学の領域には相対主義がおこったからであり、この相対主義は、われわれの同時代人であるアインシュタインによって、数学および物理学の分野においても開花したし、またその根本においては、いまのところまだ見当もつかぬぐらいの影響力を秘めている、ひとつの東洋的叡智なのである」(高橋義孝訳)
 極めてドラスチックな、我々にとってはややおもはゆいばかりの東洋への憧憬であり史的展望である。当時、ユングの目が「東洋的叡智」の名のもとに何を見ていたかは、私には定かではない。しかし、個人の意識の表層を突き破って心の奥をのぞくと、そこには、個人的な体験のみならず原始からの種属的体験が含まれているという、彼の「集団的無意識」説などを考えれば、彼の犀利さいりな観察が、東洋数千年の文明史を、大きく眺望していたと考えても、少しもおかしくあるまい。ヨーロッパが文明史の主役であったのは、たかだか近代の数百年にすぎず、人類史の巨大からみれば、あたかも集団的無意識のうえに浮かぶ個人的意識のようなものである、と。

1
1