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二十一世紀への平和路線 『創大平和研究』特別寄稿

1979.2.0 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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1  プロローグ
 戦争と平和の問題は、我々一人一人にとっても人類全体にとっても、現在、最も重要にして緊急の課題である。戦争を排し平和を選択するということが、現代ほど重要性を帯びてきた時代は、かつてなかった。たしかに過去においても、平和を熱烈に希求した思想家は数多くあったし、殺害や殺生を悪と断罪する宗教も存在してはいた。しかしそれらは、あたかも間歇泉のように、時折、人類の歴史のうえに顔を出すことはあっても、その主役を演ずるには程遠い存在であった。常にアウトサイダーの位置にとどまっていたといってよい。
 それどころか戦争は、しばしば文明の推進力として、多くの人々の称賛するところであった。古代社会を彩る英雄像のほとんどは、おびただしい民衆の屍のうえに築かれていた。人々は彼らを鑽仰さんぎょうしこそすれ、決して非難の目で見てはいない。この事情は近代にあっても、基本的には変わっていない。
 例えばルソーが『社会契約論』の中で「少しくらいの動乱は、魂に活動力を与える。そして、真に人類を繁栄させるのは、平和よりもむしろ自由である」(桑原武夫・前川貞次郎訳)と述べたマキアヴェリの言葉を、強い共感をもって引用したとしても、平和主義者としての名に傷がつくわけではない。
 また、フランス革命やナポレオン戦争を経て、戦争が次第に国家対国家の総力戦の様相を呈し、戦禍もまた飛躍的に増大しつつあった十九世紀の後半においても、ラスキンのような英知の人にして、なお次のような言葉を聞くのである。
 「私が、戦争こそ一切の芸術の基礎である、という時、私は同時にいま一つのことをいいたいのである。すなわち、戦争は人間のもつあらゆる高い徳とすぐれた能力の基礎なのだ、と」(ロジェ・カイユワ『戦争論』秋枝茂夫訳)
2  今世紀に入って、さすがに絶対平和の叫びは、年を追って高まりつつあるが、それとても現代史の主流となってきたわけではない。ナチズムやファシズムの軍靴は、侵略戦争の賛美において古代のそれとは何ら変わらず、しかも数百倍の惨禍を地上に残したのであった。そうした侵略や、内外からの圧政に対する武力的抵抗の論理にしても、絶対平和とは、明確な一線を画している。三度の大戦を経験した今日でさえ、長年植民地として、列強の支配下におかれてきた国々に、武器を捨てて平和の道につくことを説いたとしても、さほどの説得力を持つことはできないであろう。こうみてくると″人類史とは戦争につぐ戦争、その幕間に束の間の平和がある″との説も、あながち的外れではない。
 こうした状況の中で、平和を唱え、実践することは、実に至難の業であるといってよい。しかし、至難だからといって、それを避けて通ることができなくなったのが現代であるということも、厳然たる事実なのである。そこに我々が直面している人類史的アポリア(難問)がある。我々は、あらん限りの英知と努力を結集して、できるところから勇気を持った一歩を踏み出さなければならないと思う。
 平和が焦眉の課題であることを知らしむる衝撃は、周知のように、まず″外から″きた。原爆、水爆などの原子力兵器の出現がそれである。″ヒロシマ″″ナガサキ″という二つの実例からみても、核兵器が、従来の兵器とは比較にならないほどの破壊力を持つことは、明らかであった。もし核兵器の開発、使用が進めば、そこには戦勝国も敗戦国もなく、人類そのものが滅亡の危機に追いやられかねない。その恐るべき脅威を最も憂慮したのが、ほかならぬ科学者達であった。戦後の歴史は、アインシュタインや湯川秀樹に代表されるように、本来、政治とは無関係に真理の世界にのみ目を向けている傾向の強かった多くの科学者を、熱烈な平和主義者へと変貌させた。世界のすべてとはいえないまでも、こうした現象が生じたということは、史上、類例のないことである。
3  それは同時に、旧来の戦争観の一変でもある。従来、戦争とは、クラウゼヴィッツの古典的定義にあるように、政治や外交の延長線上に位置づけられていた。国策の根本動機である国益を実現、もしくは確保するための手段であった。ところが核戦争というものが、一国のみならず人類存亡の危機につながるとあっては、もはや戦争は、そのような位置にとどまっていることはできない。かのゲッチンゲン宣言に署名した科学者達が「純粋科学の研究とその応用に従事すること、また若い人々をこの領域で指導することは我々の仕事であるが、この仕事から生ずる結果に対して、我々は責任を負う。それ故に我々はすべての政治問題に対して沈黙することができない」と良心の訴えをなしたのも、戦争観の変貌を端的に示している。
 もとより核兵器の出現が、戦争観の変貌にもたらした衝撃がいかに大きいといっても、何の脈絡もなしに生じたものではない。たしかにそれは、戦争のあり方に質的変化ともいうべきドラスチックな影響を与えたが、同時に、近代戦争というものの持つ性格の、半ば必然的な帰結でもあったのである。ここに目を向けることは、核という″外から″の衝撃に対する″内から″の対応を考えるとき、特に重要になってくるであろう。

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