Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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自然のなかの人間  

「生命を語る」(池田大作全集第9巻)

前後
1  Only One Cosmos―かけがえのない宇宙――
 北川 大自然の神秘をひめた優雅な美を、直観的に謳いあげた詩に、ウォルト・ホイットマン(アメリカの詩人。一八一九年〜九二年)の「奇蹟」があります。少し長いとは思いますが、前半だけ読みあげてみます。
  おや、誰がこの大した奇蹟を作ったのか、
  私に関する限り、なんでも奇蹟なのだ、
  私がマンハッタンの街を歩くのも、(中略)
  森の樹蔭にたたずむのも、
  昼間に愛する誰かと話しするのも、夜、愛する誰かと寝床に眠るのも、
  他の人々と晩餐の食卓につくのも、
  馬車の中で向う側に乗ってる見知らぬ人々を眺めるのも、
  夏の午前の蜜蜂を見守るのも
  野原に放牧せる動物も、
  鳥も、空中の昆虫の不思議も、
  日没の不思議も静かに瞬く星辰も、
  春の新月の類なく優美な細い曲線も、
  これ等はその他と共に、一つ残らず私には奇蹟である。
  思ては関連し、しかも各自ははっきりと其の位置にある。
   (『ホイットマン詩集』白鳥省吾訳、『世界の詩集27』所収、彌生書房)
 ホイットマンばかりでなく、新大陸アメリカの黎明期を飾った多くの文学者、たとえばエマソン(思想家、詩人。一八〇三年〜八二年)、マーク・トウェイン(作家。一八三五年〜一九一〇年)、ソロー(思想家、随筆家。一八一七年〜六二年)、メルヴィル(小説家。一八一九年〜九一年)などの作品を読むと、いたるところに、ダイナミックな調和を奏でる大自然の″奇蹟″が顔をのぞかせていますが、私はホイットマンの詩がもっとも好きです。
 ところで、この詩にもあるようにホイットマンの生命には、人間をはじめとする万物の姿が、ありのままに生き生きと映しだされていたのでしょうね。そして、すべての存在が集まって、一つの大きな統一体をつくっているように彼は感じた……。
 池田 磨きぬかれた詩人の魂に、人間生命や動物や星や月の織りなす秩序ある旋律が響きわたっていたのだと思う。そして、彼の偉大なところは、人間と鳥と昆虫と、星と月と太陽との間にも、目には見えないにしても、やはり絶妙なつながりがあることを見ぬいていた点でしょう。
 たしかに、いかなる生命的存在も、孤立して、ひとりで生を営んでいるものはいない。たとえ表面的には、なんの関係もないように考えられる生き物や自然の間にも、一歩深く追究すれば、きわめて精緻な結びつきがあるのだろうね。宇宙万物の間に張りめぐらされた、この精緻にして微細な結びつきは、″生命の糸″と表現できるのではないか。
 北川 ″生命の糸″という表現はすごいですね。私たちと万物との関連が現実味をおびて感じられます。
 池田 うん。だがこの″生命の糸″がはらんでいる深い意味を正確に理解しようとすれば、詩的直観も重要だし、また、欠かせないものだが、しかし、そこに科学の知による裏づけも必要だろうね。科学の論理的な知恵に裏づけられてこそ、直観の光彩も、ひときわ鮮やかな輝きを見せるにちがいないからね。
2  川田 私たちは、土のなかの細菌や、食べ物にもならない生物などには、ほとんど無関心ですが、これらの生き物と人間生命は、やはり、密接な関係があるのですね。
 今日、世界に巻き起こっている公害反対運動の支えとなる学問に生態学がありますが、この学問が見いだした自然界の法則の一つに、次のような原理があります。「すべての生物は、他のすべての生物と結びついている」という原則です。あたりまえのことのようにも思えるのですが、これは科学者が苦心の末にたどりついた、生物集団における″生命の糸″の発見といえますね。
 たとえば、私たちの周囲にある森や林の中では、多くの生物が生息しています。木々の梢では、小鳥がさえずっていますし、かれんな花をつけた草の間からは、すずやかな虫の音が響いている。土壌中には数えきれないほどの昆虫や微生物がうごめいています。そのなかには、農作物に害をおよぼす昆虫もいれば、逆に人間に味方する天敵もいます。また、ゴキブリなどという、あまり関わりたくない仲間も生息しています。(笑い)
 生物学者の計算によると、私たちが森に一歩足を踏み入れると、その足の下には、ざっと数えて四万匹の微生物が生を営んでいるというのです。「一踏み四万匹」と表現していますが……。しかも、これら無数の生き物は、複雑な″生命の糸″に結ばれて、たがいに助けあって生きているわけです。
 かんたんにいいますと、草木の光合成はよく知られた働きですが、その草木を食べて各種の昆虫が生をたもっている。その昆虫類を、鳥や獣がつかまえる。こんどは、それらの動物の死骸を分解して、草木の栄養分として利用できるようにする役割は、土中の微生物が担っている。そして、バクテリア、つまり、各種の細菌が分解した栄養分と、動物の呼吸作用によって吐きだされた炭酸ガスをもとにして、草木が生長し、酸素を供給するというわけです。ちゃんと一つの″輪″になっているのですね。
 だから、草木と微生物と動物の三者が協力しあって、はじめて、すべての生き物が生存できるというわけです。人間も動物の一員として参加していることはいうまでもありません。
 北川 海の中での、″食物連鎖″も、ほぼ似かよったシステムにもとづいています。食物連鎖というのは、おたがいに食物となる、また栄養分となる、といったような関係によって連なっていることをあらわしています。
 森の中などですと、いま話の出た、植物と動物と微生物の関係で、これらは、たがいに相克しあっているのですが、よく考えると、相克することが共存になっているのですね。相克を、もしやめるとすると、共倒れです。みんな滅びてしまう。
 海の中では、プランクトンと大小の魚のつくりだす″輪″が食物連鎖になっている。光を吸収し、有機物をつくりだすのは、植物プランクトンです。それを動物プランクトンが摂取する。そして、動物プランクトンは小魚などの小動物のエサになります。大型の魚は小さい魚を食べて生きているのですが、その死骸はパクテリアに分解されて、植物プランクトンに摂取されるのです。海に石油を流して、これらの生物が死んでしまえば″輪″が破壊されて、人間にとっての″海の幸″もなくなってしまいます。
 川田 石油も、この連鎖を破壊する重大な敵ですが、食物連鎖にのっかって人間生命に襲いかかるというか、傷つけるものがありますね。たとえば各種の有毒物質です。PCBとか、BHCとか、有機水銀ですね。水俣病の場合は、メチル水銀ですけれど、たとえば、これらの有毒物質を河とか海に流しますね。すると、大量の水で薄められるから、少々濃い原液を流しても大丈夫だろうと思うかもしれませんが、本当はまったく逆なんです。
 池田 食物連鎖によって、かえって濃縮されるのだね。
 川田 ええ。水の中ですと、まず、植物プランクトンですが、そこから、何段階も経て大きな魚になりますと、最初の一万倍から十万倍にもなります。
 北川 濃縮された有毒物質をたっぶり含んだ魚を、人間がいただくというわけです。事実を知ると、あまりいい気持ちはしないですね。
 池田 自然は生きているというが、みごとな関連をたもって流動する大自然そのものが、個々の生物体に劣らず驚くべき存在だね。まるで、一つの統一された意志と、全身にいきわたった神経系統をそなえた巨大な有機体の働きのようにさえ思われてくる。大自然のふところにいだかれて、無数の生き物が、助けあい、影響しあい、また、ときにはいがみあう姿を示すこともあるわけだが、全体としての調和と秩序は厳然として維持されているのだね。
 まあ、人間の行為が、この秩序を破壊したり、傷つけたりしなければの話だがね。ともあれ、自然界のこの姿は、私たちの身体が個々の細胞の生と死を含みつつも、統一された全体的な調和をかもしだしている働きにもたとえられるでしょう。
3  川田 分子生物学者・渡辺格博士はある月刊誌に「宇宙に潜む生命誕生の神秘」という論文を発表しているのですが、そのなかで「地球全体を一つの超生物であると考える見方もなりたつ。というより、近い将来、そういう視点が、ぜひとも必要になってくるような気がする」(「潮」昭和四十六年二月号、潮出版社)といっていますが……。
 池田 まったくそのとおりだと思う。大地をはぐくみ、海洋には″生命の水″を満々とたたえ、大気の成分は生物集団の呼吸を支えて、地球という惑星は、自転し、公転しつづけている。もちろん、ときには、台風やハリケーンが荒れ狂い、生物集団に襲いかかることもあるでしょう。大地が怒り、震動し、火山が真っ赤な溶岩を流すときもある。また、周期的に、地球全体の環境が激変することもある。
 たとえば、地球における氷河期は、約百万年前から、一万年前の洪積世の終わりまでつづき、海も河も大地も凍りついたといいますね。さらに、少なくとも、過去三十二万年の間に地球の磁場が五回も逆転したと報告されている。たしか、琵琶湖の地層を調べていてわかったことだったね。わかりやすくいえば、北極が南極になり、南極が北極にと入れかわるという大変動が起きたわけだ。
 だが、そのように波瀾万丈のドラマを織りこみつつも、三十億年におよぶ生物変遷の歴史を生みだした地球は、その中心部に四千度の燃えさかる火をかかえて、ほとんど無限と思われる宇宙空間をさすらっている……。地球自体が「超生物」であり、生命的存在であるとの視点が求められる時代に入ったのかもしれないね。また、渡辺博士が述べられたように、近い将来には、すべての人々の地球観も変わるだろうね。
 川田 たしかにそう思います。このような地球を守るために、一九七二年(昭和四十七年)六月には、ストックホルムで「人間環境会議」が開かれましたが、そのとき、世界各国から多くの生態学者や医学者が参加し、貴重な意見を交換しています。
 会議は「人間環境宣言」を採択して幕を閉じましたが、そこに一貫して流れる精神は、スローガンに掲げられた「Only One Earth(かけがえのない地球)」を守ろうとする人々の願いであり、情熱でした。
 この「かけがえのない地球」というスローガンにこめられた内容も、地球を一個の生命体であると理解することによって、ひしひしと実感できるのではないかと思います。
 池田 ただ、それが一部の動きだけではなく、すべての人が地球を生命的存在であると、感じるようになってほしいものだね。「Only*One」――″ただ一つしかない″ということは、広い宇宙をみれば、他にも生物の存在する世界があるのかもしれないが、少なくとも、私たちや子ども、孫などにとっては、地球はただ一つしかない世界であり、絶対に他にかけがえのない世界だからね。
 それと同時に、もう一歩視野を広げると、地球上にエネルギーを与え、万物の生を支えている太陽も、一個の生命的実在であると考えられるでしょう。また、太陽と同じような恒星も、それが生死流転の旋律を奏で、宇宙を旅する巨大な生命であり、活動体であることに変わりはない。そして、銀河系宇宙だけでも、約一千億個を数える恒星群の間には、精密な″見えざる糸″が張りめぐらされている。ニュートンの発見した万有引力の法則なども、星と星とをつなぐ、隠れた糸の一つだね。
 このように考えてみると、生物集団をめぐる生態学的な連鎖も、地球をつくりあげている大自然のさまざまな働きの間の関連も、星と星、星団と星団をつないでいる物理的な法則も、そのすべてが複雑にからみあい、総合され、統一されて、大宇宙のあまりにもみごとなハーモニーを織りなしていることになる。
 人間、生物集団、地球、恒星、星団へと階層をなして広がっていく大宇宙の様相を、私たちの身体との対比で、わかりやすく説明すれば、次のようになるのではないだろうか……。
 私たちの身体は、まず六十兆にもおよぶ細胞でつくられている。その細胞が集まって臓器や器官となり、また筋肉などの組織となる。しかも、すべての細胞の間には神経が張りめぐらされ、血液や体液がいきわたっている。人間生命や個々の生物を一個の細胞とみれば、生物集団は細胞群に対比されるでしょう。地球と太陽系などの系統は、心臓、肝臓、腎臓などの臓器、目や耳や歯などの器官等に対比されるね。
 川田 そうすると、恒星群ぐらいになると、さしずめ、筋肉群や骨髄系などの組織系ということになる……。
 池田 そういうわけです。そして、これらの各生命的存在にかかる″生命の糸″は、生命の秩序と調和を支える神経系統の働きや、ホルモンなどの化学物質を全身に運ぶ体液や血液の流れと考えられる。したがって、もし、脳卒中で血管が破れたり、心臓病による血栓が血流を止めたり、神経が動かなくなったりすれば、半身がきかなくなったり、手足が麻痺したりするように、大宇宙に張りめぐらされた一本の繊細な糸でも、ぷっつりと切断されれば、その影響力は宇宙のすみずみにまで広がっていくと考えざるをえないわけだね。
 宇宙を住所とする一個の細胞としての人間生命のみが、たとえ間接的であろうと、微小であろうと、その影響を逃れられるはずもないでしょう。そこで一つ提案したいのだが、私たちの生命論の現実的なスローガンの一つとして、先ほどの人間環境会議のスローガンをもう少し広げて、「Only One Cosmos(かけがえのない宇宙)」を掲げてはどうだろうか。

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