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人生問答 日本の進路

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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1  どこに発展の基盤をおくか
 松下 日本の将来はどうなるのでしょうか。どのような発展の道を歩んでいくのでしょうか。
 昨今、日本には国是・国訓というものがないといわれていますが、これはつまり、日本に国家経営の確たる理念がないということになります。このままでは、日本の将来はいささか危ぶまれてきますし、発展の道も心もとないことになってくると思います。
 そこで国家経営の大目標、哲理というものをどこにおいたらよいのか、ご高見をいただければ幸いです。
 池田 まず、日本の将来は、現に生きるわれわれが切り開き、創りだしていくべきものと思います。そしてまた、次代を担うべき青年群像がそれを受け継ぎ、さらに発展させていくでありましょう。
 ご指摘にもあるように、今日の日本に確たる理念、哲理が欠如していることは事実です。
 本来、国是とか国訓といったものは、国民に押しつけるためではなく、国民が社会・国家という立場においてみずからの力を存分に発揮していけるため、また、国家・民族が方向を誤らないために、なくてならないものともいえましょう。そういった観点から、いったい、これからの日本は、何を目標にして進んだらよいのか、どこに発展の基盤をおくベきであろうかと考えたとき、たしかに二十世紀後半から二十一世紀にかけての日本の進路に、心もとないものを私は感じております。
 私は、きたるべき二十一世紀は「生命の世紀」でなければならないと考えております。これは、地球上のすべての生きとし生けるものが、それぞれ生命の内奥に秘めたる尊貴な実在を、最高度に発揮できるような社会・環境・世界を築いていくことであります。それには、この地球上からいっさいの戦争の芽を摘みとることが、まず必須の条件となるでしょう。とすれば、これを日本民族の立場にあてはめていえば、日本は世界平和に寄与することをもって、その将来の第一の目標とすべきであると信ずるのです。
 第二に、日本は狭い国家の枠を超えて、今や運命共同体としての地球人の一員であるという自覚をさらに強くもつべきであると思います。このことは、戦後も国際感覚を養うべきであるとか、アメリカ流の民主主義の輸入によって、よくいわれてきたことであります。しかし現実には日本人は、なかなか精神の鎖国性を脱却できないでおります。ここで、あらためて世界に目を広く開いて、平和中道の理念をもち、各国と協調していく道を進むべきであると訴えたいと思うのです。
 第三に、日本は独自の文化を深く掘り下げるとともに、生命の内奥から発する歓喜の表象としての文明を、新たに築いていくべきであると思うのです。二十世紀後半の現代文明は、人びとがその生命力を喪失し、終末論的な色合いを濃くしております。しかし一方では、民衆が文明の創造と、歴史の展開の主役として登場した時代でもあります。民衆の平均的な知的水準の高さは、日本の誇るべき特質であり、日本が先駆を切って新たな文明の蘇生に向かうことも可能であります。危機にたつ現代文明を転換する旗手として、日本民族のたつべき時である、と私は思います。
2  国家目標の設定
 池田 核時代といわれる現代にあっては、日本一国だけの生存と安全は保障されません。かりに日本が経済的に繁栄しても、中東やアジアに戦争の火種が消えないかぎり、いつなんどき世界大戦に発展するかしれない危険性があります。
 私は、その意味で、日本の国家目標を設定する場合でも、まず全地球的な規模の安全保障を最優先させるべきであると考えます。日本の平和と繁栄が、そのまま全世界の平和と安全につながっていく道をこそ模索すべきではないでしょうか。その点、幅広い経済活動を通じて、世界の人びとの手に製品を送り届けられてきた立場からのご見解を、おうかがいしたいと存じます。
 松下 おっしゃるとおり、今日以後の世界の人びと、とくに日本人は、自分の国だけでは生きていけないということについて、徹底した考えをもつ必要があると思います。
 先般来の石油危機による経済的、社会的諸問題も、そのもとは中東の一部における紛争です。その影響が日本におよんだわけです。そして今や、震源地のアラブ諸国が収入をふやして涼しい顔をしているのに反し、日本では、ややもすれば互いに血まなこになって日本人同士が争ったこともありました。こういう姿ではいけないと思います。私はどうも日本人が井の中の蛙になっているというか、日本人の世界観が非常に狭いように感じます。
 日本の平和と繁栄は、世界の在り方、動きに左右され、同時に日本の平和と繁栄は世界に影響を与えるということを、お互い日本人が十分に認識し、世界は一つの共同体であるという意識を強めていく必要があるのではないかと思います。
 すなわち、われわれは、常に日本人であると同時に世界人であるという立場にたっていなければならないと思うのです。政治もそういう立場を前提とした政治であることが必要ですし、また、お互い国民としても、そういう前提にたって海外に対処していくことが必要です。そして社会の各面で指導的立場にたつ人は、よりいっそうそういう点について先見性をもつことが肝要だと思うのです。
 明治天皇の御製に「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」というのがあります。こういう思想が日本にあるのです。すでに百年ちかくも前に、日本の最高指導者がいわれているのです。にもかかわらず、そういう思想がいまだに十分理解され実現されていないというのは、お互い日本人としてよく考えてみなければならないものがあるのではないでしょうか。
 とくに今日では、遠いヨーロッパの出来事でも、いわば瞬時にわが国まで伝えられてきます。したがって、ヨーロッパはもちろん、世界中の動きというものを軽視していては、何事もなしえないといえましょう。
 もはや世界は一体であり、いわば有機的に結びついているわけです。それだけに、「よもの海みなはらからと思ふ」という、いわば伝統の思想にたって日本が実際に歩んでいくことが、非常に大切ではないかと思います。
 そういう意味から、全世界とのつながりを重視されるお考えに、私も心から共鳴をおぼえるものです。
3  国としての命運
 松下 過去の世界の歴史において、国家の興亡は定まりなきものがあり、栄枯盛衰は世の習いという感じもいたします。その興亡の歴史には、それぞれにそれぞれなりの理由があったと思いますが、根本的にはそれぞれの国の国運というものが大きく働いていたようにも思います。この国運というものについて、いかがお考えでしょうか。また日本の国運というものについてのお考えはいかがでしょうか。
 池田 ご指摘のとおり、一つの国家の興亡、盛衰には、必ずその直接的な原因、ないし契機となるような事柄があると同時に、より巨視的に歴史をみた場合には、国家の命運といったものをみることができるように思います。たとえば太平洋戦争などを例にとっても、その敗戦への道の直接的契機は、ミッドウェー海戦における作戦の配齢にあったとか、講和の時期の選択を誤ったことによるとかと、その原因をあげることはできるでしょう。しかし、より大きな視野からみれば、愚かな軍国主義の指導者に導かれた結果として、滅びるべくして国は滅びたといえます。
 したがって、国運という考え方を私も認めますが、それは、けっして神秘的、天から与えられた国家の運命といったようなものではなく、その国土に住する人間自身によって培われた生命力、あるいは思想なり行動なりの集積としてあらわれた、国家社会の基本的動向という意味でです。国家や社会といっても、その特別な実体があるわけではなく、したがって、その国家社会の運命といっても、抽象的に存在するわけではないはずです。すべてそこに住する人間自身の生命力、心理状況、思想、行動によって、国家・社会の基本的動向が決まることを、確認しておきたいと思います。
 また、日本の国運についてどう考えるかとのご質問ですが、今や、政治的にも、経済的にも、文化的にも、全世界が、一つの運命共同体になっているというのが現状であります。このようななかにあって、一国だけの命運を論ずることは必ずしも妥当ではないように私には思われます。
 そこで、全世界の運命はどうかということになりますと、今や、破壊と混乱と衰亡の一途をたどるか、それとも、世界が一つに結ばれ、調和と創造と栄光への道をたどるかの分岐点にあると考えます。どちらの道へ人類の運命を向けるかは、現代に生きる私たちの手にゆだねられております。

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